小冊子 think transplant Vol.48
末娘に「1歳のお誕生日おめでとう!」ってママに言ってもらって、それからすぐにママは死んでしまいました。
小さかった子どもたちも、今ではパパのこともじーじのことも自分たちのことも認識できます。3人のお姉ちゃんが家族写真を指差して、この人がみーみだよ、おばあちゃんだよ。と教え込んでいます。みーみと言えるようにもなりました。でも、みーみと言えるようになったけれど、写真を見てもママの顔はまだ認識できていません。
去年の夏は、大きなスイカを転がしながら一緒に写真を撮ったけど、今年の夏は一緒にスイカを食べられませんでした。お盆の準備ってなに?なにをどう用意すればいいの?浴衣の着付けも、私一人でどうしよう。
秋。毎年恒例の松茸。豊作だったよ。お客さんに振る舞おうにも、ママがお料理してくれないから、私が代わりにママがいつも作っていたように松茸ご飯にしました。作り方、これで合っているの?
一緒に住んでいたママが突然いなくなった悲しみを味わった1年でした。
人が突然死ぬということ。そのことで身近な人がどれだけ悲しむかを知りました。
まだママがいなくなって1年と少し。
忘れないように忘れないようにって、ママがいた空間を思い出して毎日必死に生きています。
でもママがいないという現実を、みんなで生きていくためには忘れないようにしたり思い出している余裕は、正直ありません。死んじゃったママのことばかりを考えてなんかいられない。
そうやってママを忘れて、ママのいない生活が当たり前になっていきます。そのことに気が付く瞬間が、とてもつらくて悲しくて、そんな自分を責める気持ちにもなります。
そのくらい死んじゃうことは私を苦しめます。ずるい、ひどいって思います。
ママは死にたくて死んだわけじゃないのにね。分かっているのにずるいよ、ひどいよってママを責めながら生きていくことは、許してほしい。
なかったことにできたらいいのに、それができない現実を、残された人は生きていくことになります。
だから私は、生まれてきて生きていくこと、それがどれだけ尊くてありがたいことなのかを人に伝えていきたいと思います。
分かっていることは、生きている限り生老病死は避けらないということ。
縁起でもないとか、まだ大丈夫とかそんなことどうでもよくて、人はいつか必ず死ぬことになります。それがいつかはわかりません。決まっていません。
ママにあのとき人間ドックを勧めていたら。病院に行くように説得していたら。防げることができたのではないか。とかタラレバばかりです。
それでも私は、ママと臓器提供の話だけはしっかりしていた。
「ママが死んだら、使えるものはぜんぶ使ってほしい」
この会話だけは明確で、確実なママの気持ちでした。
私がこの言葉を聞いていたからこそ、私たち家族は決断できました。
ママの人を思う心が、今どこかである人を救い、その人を大事に思う周りの人たちをも救ったのだと思うと、私たちの悲しみは半分減って希望に変わります。
ママがまだまだ生きていると思える。それこそが私たち家族の生きる力です。
ママ、私に臓器提供の意思を残してくれて、ありがとう。