家族で過ごせることがとても幸せで、当たり前のことに感謝できる毎日になりました。

 娘は、みんなにニコニコして愛想がいい子でした。人見知りもそんなにせず笑ってばかりの子でした。ところが、娘が6ヵ月の頃です。最初はただの風邪だと思っていましたが、病院を何軒か周り、吸入や薬をもらって様子を見ていても治ることはなく悪化する一方でした。これはおかしいんじゃないかと思い、大学病院を受診したところ、心臓の動きが非常に悪く、今すぐICUで治療しないと助からないと言われ入院しました。ただの風邪がひどくなっただけだと思って診てもらいに行ったのに、まさか心臓が悪くなっているとは思いもしませんでした。そのときはなんでうちの子が、なんでこんなことになっているの……、どうしたらいいかもわからないし信じられなかったです。それでも、時間をかければ治るとずっと信じていました。

 しかし、その後も地元の病院で治療中に何度も急変しました。そのときに、はじめて本当に現実を見させられたというか……。嫌なことばかり考えてしまい、自分の娘はどうなるのか不安な毎日でした。眠れなかったし、ご飯も最初は喉を通らなくて、本当に自分を責め、泣いていました。でも、娘は頑張っている。生きている。落ち込んでいても駄目だから、とりあえず私たちができることは全力でやろうと決めて病気と向き合いました。

 そんなときに他県の病院を紹介され、心臓移植を待機する選択についてお話がありました。しかし、決めるのにも時間がなく、2~3日で決めなければいけない状態でした。それほど早くしないと命が持たない状態でした。もちろん親として娘を助けたい。少しでも助けられる道があるなら他県に行ってでも治療をしたい。でもお兄ちゃんもいる。離れ離れに暮らすことになる。お兄ちゃんが大丈夫なのか……、小学校に入る前の大事な時期にいてあげられない……。正直すごく悩みました。でも、できることはしたい。私たちができることは全力でしよう。みんなで助け合えば絶対大丈夫だよね。そう家族で話し合い、離れていても会えないわけじゃないし、先が見えないけどいつかまた絶対家族で暮らせると信じて、移植を待機する決断をしました。娘にとって何が正解かわからなかったし、これから先たくさん苦しい思い、痛い思いをさせてしまうけれど、私たちには娘がいなくてはなりませんでした。

 そして転院し、補助人工心臓を着けました。補助人工心臓を着ける前は呼吸も荒いし見るからにしんどそうでした。ご飯もそんなに食べず、力がない感じでした。しかし、補助人工心臓を着けた後はご飯もたくさん食べて、よく笑うようになりました。ただ、感染がひどく、動くことはあまりできませんでした。元気だけど感染を悪化させないために動けないのは見ていてつらかったです。

 しかし、元気でいたのもつかの間、脳出血を2回繰り返しました。脳出血が起きたときは一番恐れていたことが起きたなと思いました。でも、なぜか私の子なら大丈夫。乗り越えられる。麻痺は残ってもリハビリをしてよくなる。とりあえず生きて欲しいという気持ちしかなかったです。

 毎日安心できる日なんて正直ひとつもありませんでした。先生と娘を信じるしかなく、とりあえず前向きに。娘はたくさん痛いことをされながらも私が面会へ行くとすごく嬉しそうな顔をしてニコニコしてくれました。そのお陰で私もホッとして毎日娘に元気を貰えていました。

 そして、移植待機のために転院してから8ヵ月くらい経った頃に奇跡的に移植の機会に恵まれました。夜ご飯を食べているときに主治医から突然電話が来て、移植をするかしないかを聞かれ、したいですと伝えました。ただ、病院での生活が当たり前になってしまい、移植を受けたら本当に機械もとれて元気になるのか?本当に退院ができるのか?最初は何も信じられなかったです。

 そんな思いとは裏腹に移植後はすごいスピードで回復しました。移植して1週間経たないくらいでご飯も食べだし、ICUは2週間くらいで出られました。ICUを出た後は抱っこも普通にできるようになり、リハビリもすぐ再開し、移植から2ヵ月後には退院できました。

 移植を受けて久しぶりに見る、機械に繋がれていない娘。見る見るうちに元気になる娘。本当に元気になっているのが目に見えてわかるし、笑顔はもちろんのこと、できることも増えました。まず移植をして抱っこができるようになったこと。家に帰れたこと。移植したと同時に気管切開を外せたこと。気管切開が外れて元気だったときぶりに声が聞けたこと。今までは管に繋がれて自由に動けなかったのが動けるようになり、だんだんお座りや歩けるようになったこと。本当にいいことだらけで感謝しかありません。

 移植をしてからは制限がたくさんあります。免疫抑制剤を飲んでいるため、生ものを食べることや砂遊びは禁止。マスクは必須で常に除菌。保育園も年中までは通えず、通いだしても感染症が流行ればうつると大変なので通えなくなります。人が多い場所にも行けません。しかし、それ以上に家族で過ごせることがとても幸せで、当たり前のことに感謝できる毎日になりました。

 また、心配していたお兄ちゃんも娘が元気になるように毎日祈ってくれていました。娘が退院した後はたくさん制限もあったけど、また入院してほしくないからとちゃんとマスクをして自分も風邪をひかないように心掛けたり、『僕が妹を守ってあげる』とも言ってくれています。

 ドナーさんのことを想うと本当に心が痛いです。でも、娘の中で生き続けています。これから先、娘と仲良く生き続けて欲しいです。娘にもたくさん経験してきたからこそ強い子になって誰よりも優しい子で愛される人になってもらいたいです。

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