今生きているからこそできることは、
このいのちを次のいのちにつなげていくこと

  病気が分かったのは、中学1年生のときでした。何日経っても微熱が下がらず、かかりつけの医院を受診したところ、大学病院を紹介され、検査のため入院となりました。学校にも野球の練習にも休まず行っていたので、自分では大変な病気ではないだろうと考えていましたが、想像以上に入院は長引き、検査結果を待っている間は毎日不安で仕方ありませんでした。

 検査結果は、原発性硬化性胆管炎。肝臓の難病でした。主治医から、この病気は薬や手術で治る見込みがなく、将来的には臓器移植でしか助かる道がないことを伝えられたときには、母と一緒に泣いてしまいました。加えて、潰瘍性大腸炎、門脈圧亢進症を合併していることも判明しました。いつも通り学校へ通っていた毎日から一転して入院、そして診断された病気は難病。この現実を受け入れることができず、"なんで自分が"と何度もこの言葉が頭に浮かびました。

 中学3年生のとき、二学期の始業式に行こうとしたところ、発熱のため欠席。日を追うごとに熱が高くなり、大学病院に入院したものの改善せず、絶食することになってしまいました。約2カ月の絶食はとてもつらく、当たり前に食べられることがどれだけ素晴らしいことなのかを学びました。

 そのほかにも多くの症状に悩まされました。足の先まで全身が熱くてかゆい。黄疸も激しくて目も肌も黄色いし、顔はパンパンに腫れている。それなのに体は痩せていく一方で、お腹に入れたドレーン部分も痛み、“なんでこんなことをしているんだろう”と思うときもありました。でもこれ以上の心配をかけたくなかったので、つらい気持ちをなかなか周りには話せず、精神面でも病気との付き合いは難しかったです。

 その後、熱の原因は原発性硬化性胆管炎によるもので、ついに移植の話が現実的なものとなり、日本臓器移植ネットワークに移植希望登録をすることになりました。そのときは“もしも移植を受けられなかったら”と考えると悲しくなり、自分がどうなっていくのかとても不安でした。また、誰かのいのちをつないでもらうということに対しても“これでいいのだろうか”と葛藤していました。

 移植の連絡が来たのは夜中の2~3時頃、突然でした。時間がない中でしたが、家族と話し合い、手術を受けることを決意しました。

 退院したときのことが一番印象に残っています。担当の看護師さんが涙を流して見送ってくれました。私のことを力いっぱい抱きしめてくれた看護師さんもいて、涙がこぼれそうになりました。“どれほど自分が恵まれていたのだろう”“こんなに自分のことを思ってくれていたなんて”などたくさんの感情が込み上げてきました。決して楽しいことばかりではなかった入院生活でしたが、新たないのちをつないでいただき、これから歩んでいく自分に病院の方々は最後までたくさんの愛をくださいました。

 移植後に一番感じた変化は体のだるさが取れたことです。それまでは潰瘍性大腸炎による貧血の影響だと思っていましたが、移植により、それが肝臓の影響だったことが分かりました。毎朝感じていただるさがなくなったことで気持ちよく起きられるようになりました。

 生活も移植前と比べて薬の量が少なくなり、何より体が軽くなった感じがして、毎日がより楽しくなりました。学校にも休まずに行けるようになったことがとても嬉しかったです。

 移植後はすぐに高校生活が始まりました。私が通っていた高校は移植手術後で入院している私に病院内で受験をさせてくれたとても理解のある学校でした。体育の授業の配慮だけでなく、ほかのクラスでインフルエンザの生徒が出た際には免疫抑制剤を飲んでいる私にマスクを付けておくように声をかけてくださるなど先生方のサポートがとても嬉しく、今でも感謝しています。

 また、高校の友達はみんな私の話を聞いて、“とにかく生きててよかった!”と言ってくれました。そして私のことを心の底から理解してくれます。そんな友達に巡り会わせてくれた高校には感謝してもしきれません。

 私は今、看護師を目指して大学に通っています。担当の看護師さんの存在が大きかったからです。入院中はいつも気にかけてくれて、寂しく、つらい思いをしているときは何も言わずにそばに居てくれたり、院内学級や日々の生活で楽しいことや嬉しいことがあったときはいつも聞いてくれました。そんな看護師さんのおかげで私は入院生活もつらいというよりは楽しくといったらおかしいのかもしれませんが、そのくらいの気持ちで過ごすことができました。

 私は生死に関わるような経験をしたから、生きていることが当たり前ではないと思えることができていますが、当たり前のことを考えるのが一番難しいのではないかと思っています。つらい病気と闘ってきたからこそ、何気ない生活のすべてが輝いて見えました。 “あと何年生きられるか分からないから、その何年かを全力で生きて、最後には後悔しないようにしたい”そんな風に物事に対する価値観が変わり、前向きに過ごすようになりました。入院中に考えたこと、感じたことを活かし、臓器移植を受けた当事者だった自分だからこそできる看護があると思っています。

 そして、ドナーの方には感謝という一言では表せないくらいの思いです。ドナーのご家族の決断に感銘を受けました。いのちをつないでいただいた私が今生きているからこそできることは、このいのちを次のいのちにつなげていくことです。第二のいのちを頂けたことに感謝し、ドナーの方と共に夢に向かって頑張っていきます。

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