私は生きているのではない、生かされているのだ。

 その日は、突然やってきました。深夜に病院からかかってきた一本の電話。そして、いま私は生きています。

 私は40歳代半ばに、人間ドックで肺気腫と診断されました。診断以降は内科的治療として吸入薬の服薬や呼吸リハビリのための入院などで治療に努めましたが、この間も病状は徐々に悪化していきました。職場である中学校では、教室に行くまで1階ごとに休憩をとりながら階段を上がる日々。生徒とともに走ることやスポーツをすることだけでなく、授業で1時間立って話をすることも苦しくなっていきました。

  そして、ついに在宅酸素療法が始まりました。始めたばかりの頃は、体が楽になり、息苦しさから逃れられた感じがしましたが、それは一時的なものでした。体は徐々にしんどさを感じるようになり、呼吸も苦しくなり始め、それと同時に酸素量も増えていきました。また、病気の進行を送らせるために、病院で呼吸リハビリテーションを受け、自宅で実践したりしましたが、病状は悪くなる一方でした。

 私は、60歳に届かない年齢で病死した父母よりも長生きをして、せめて定年まで働き仕事を全うしたいと思っていました。妻が臓器移植についてインターネットで調べ、移植によって命が救われていることを知り、自分も移植を受けたいと思い、肺移植を決意しました。

 通院している病院から移植手術ができる病院を紹介していただき、移植に向けて検査入院をしました。そして、多くの検査を終えて、日本臓器移植ネットワークに登録することができました。このときは、ただ、「生きたい」、「この苦しみから逃れたい」という思いだけで、毎日、日本臓器移植ネットワークのホームページを見ては、移植はあったのかどうかを確認し、自分の順位はどの辺にあるのかなどを想像していました。時が経つにつれて冷静になると、人の死を望んでいる自分に気づき、嫌になることもありました。

 しかし、病状は深刻さを増す一方でした。風呂では湯船につかることもできず、シャワーだけでも息が上がっていました。着替え、歯磨き、トイレなど日常生活を送るだけでも、息苦しくなるようになりました。着替えや歯磨きは立ってすることがつらくなり、イスに座ることが多くなりました。食事も息苦しさからとることができず、食事がとれても、二酸化炭素の量が増え、体が熱くなり、胸が苦しくなり、一番ひどいときには病院に救急車で運ばれることもありました。また、入院中に意識を失い、ステロイドパルス療法を受けたこともありました。肺気腫の急性増悪は何度も私の体を襲ってきました。私の心の中では、罪悪感ではなく、一刻も早く移植を受けたいと思う気持ちが膨らんできました。どうしてもしんどいことから逃れたい、そして、生きていきたい、と思うようになりました。

 何年か待機した後、移植病院から移植の候補者になったと連絡が来ました。連絡を聞いたときは、心臓がバクバクしました。そこには、主治医の先生を信じているとはいえ、手術への恐怖心があったのでしょう。移植病院にすぐに入院して、術前検査を受け、移植のときを待ちました。手術は正午から始まり午後8時前に手術室から出てきたそうです。このときは麻酔をかけられており、2日間、目を覚ますことなく眠り続けていました。起きたときは、まだ生きているという感覚はありませんでした。体中に管がついており、口には酸素マスク、そして、薬のせいか、夜中でもうとうとしているだけの感じです。ICUから一般病棟に移り、自分でご飯を食べ、トイレに行き、シャワーを浴びたとき、ようやく「本当に生きている」と感じました。日頃、何気なく行っていることが、こんなにうれしく、感謝の気持ちを持つものなのか。この感激は忘れません。

 その後、リハビリなどをして退院し、移植後4カ月目から、職場に復帰しました。しかし、少し無理をすると移植していないもう一つの自分の肺に気胸が起こります。ただ、歩き、話し、笑顔で過ごせる、このような生活が送れるのは、ドナー様とそのご家族の皆様のおかげであると感謝しています。この思いから、6カ月に1度、移植病院のコーディネーターの方を通じてサンクスレターをお送りしています。最近は、感謝の気持ちだけでなく、自分の近況を書いてお送りしています。いまの私が生きているのも、ドナー様とそのご家族の皆様のおかげなのですから。

 さらに、移植では多くの方々の助けがありました。移植病院の先生方、看護師さん、理学療法士の方や薬剤師さんなどのスタッフのみなさん、そして、常に励まし、分からないことを教えていただき今もお世話になっているレシピエントコーディネーターの方、そして、日本臓器移植ネットワークの方々、そして移植できる体を維持していただいたかかりつけ病院の先生方も命の恩人です。

 いま、中学校では、3年生の道徳の教科書に、臓器移植を題材とした教材があります。そこで、自分の経験を話すことも増えました。授業をした後の生徒の感想では、臓器提供をするという意見やしないという意見、自分は提供するが親については提供しないという意見、親が意思表示カードで提供の意思を表示しているから自分もするという意見など、千差万別です。しかし、生徒たちは真摯に命について考え、臓器移植について自分のこととして考えています。移植をすることで助かる命がある、そして、それはドナー様とそのご家族がいるからこそできることだと理解しています。そして、私は最後にこう言います。「私は生きているのではない、生かされているのだ」と。

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