食べた栄養が、吸収された体にみなぎるように感じる。

何不自由のなかった25歳まで

 この世に生を受けてから、特に不自由を感じることもなく、いつもの毎日を積み上げて、小学校、中学校、高校、大学へと進み、私の人生はこのままずっと続いていくのだろうとなんの迷いもなくそう思って生きていました。

 25歳の冬。突如夜中に強い腹痛で起き、すぐさまトイレへ駆け込み、血の混じった便、その後救急外来へ、そのまま入院。あれよあれよという間に平凡であった現実から離れていきました。その後、治療薬の服用を開始。これで症状も治まりまた平凡な毎日へ戻るはずでした。しかし、治療薬は功を奏さずに次の治療へ。あろうことか、それもまた功を奏さず失意のどん底へ。そんなことをしているうちに病状はどんどんと悪化していき、最終的に大腸摘出へ。一時的に人工肛門にはなるが、それでも早くこの状態から、この激痛から解放されたかった、その一心で決意。目が覚めてこれでやっと終わった、と安堵。しかしそれも長くは続かず何度も再手術。最終的に大腸小腸は摘出されて、残ったのは十二指腸から先のほんのわずかな小腸。ストマ*とは一生付き合うこととなり、食事からは栄養は取れないので常に体の太い血管に持続的にカテーテルを入れたままになり、そこから点滴を流して一日の生きるエネルギーを摂取することに。体重は35kgになり、寝たきりになり、起き上がることも首を動かすこともできなくなり、そこが私にとってのどん底であったように思います。

這い上がって自分らしく生きていくために

 退院直後は、まだしっかり歩くことはままならず常に誰かの助けを借りないと立ち上がったりはできない状態でした。唯一、救われたのは身体機能は衰えてしまいましたが、思考することにおいては当時のままだったことです。物を考えたり、本を読んだり、そういうことは不自由なく当時のままを再現できたことが、いくら体の機能がほとんどゼロに近い状態になってしまっても悲観せずに前を向いて進もうという気持ちを支えてくれました。それから、周りの理解もあり、短い時間ではありますが働かせていただけることができ、そこから生へのモチベーションが一気に湧き上がり、あれよあれよという間に車いすから杖を突いて歩けるようになり、そのうちに杖なしで普通に歩くことができるようになりました。

やっと自分らしい生活を確立できた矢先

 永久ストマ、点滴をリュックに入れて外の世界へ出かけ仕事をこなす。不自由さも勿論たくさん感じてはいましたがそれでも自分らしくささやかな幸せを見つけながら毎日を過ごし、自分の生き方・生活のスタイルもやっと確立していきました。

 そんなさなか、またしても次の壁が突如現れたのです。持続点滴で一日の生きるエネルギーを補給していたのですが、その大事な点滴を流す血管が塞がりかけてしまったのです。今すぐにという状況ではありませんが、塞がってしまったら点滴を流すことができなくなり、もうどうすることもできなくなってしまうと医師から告げられました。そこで初めて移植という治療が最後の選択肢としてあるということを聞きました。それから、色々と考えやるしかない、と移植を決意しました。それから移植希望登録などの手続きをして、待機となりました。いつ電話が来るのかわからない状態で一カ月待ち、半年待ち、そして一年が過ぎていき、そしてまた一カ月が経ち、とそんな中で一本の電話が鳴り「臓器のご提供があります」との連絡で急いで病院へ向かいました。ここまで来たらもう後は先生と神様に任せるしかないと、心を静めて手術室へ入り深い眠りにつきました。

 目が覚めたらICUに居ました。無事に終わったんだ、と本当にただその一言だけしか言葉に出ませんでした。それから、親や先生たちとの最初の会話で思わず今までの全ての記憶が洪水のように溢れてきて、涙が止まりませんでした。

 それから一日一日と時間が過ぎていくたびに、体に力が湧き上がってくる感覚がありました。これもすべてドナー様の臓器の生きる強さの賜物なのだと、ストマから見える腸を見ながら感謝で胸がいっぱいでした。

術後の心境とこれからの抱負

 それからしばらくして、点滴を流さずに食事だけで一日を生きていくことができるようになり、点滴を入れたリュックをずっと背負って移動しなくても済むようになりました。

 食事から摂取する栄養は言葉ではうまく表現することができませんが、点滴で摂取する栄養とは違うようで、聞こえてくる風の音や、いつもの散歩をする道もすべてが鮮やかに感じました。

 持続で点滴をしていることによる合併症などもなくなり、現在は病院の近くのアパートで静養しています。もうすぐ生まれ育った街に戻れる予定です。そこから、また新たなスタートを切っていきたいと思っています。

 会う人みんなが本当によかったね、と喜んでくれました。でも私は素直に喜んで生きていっていいのだろうか、と入院中もそして退院した今も葛藤しながら、その答えを探していますが、その答えは今も分からずにいます。

 私は誰かの失意と悲しみの上でこうして生かされていることを蔑ろにしてはいないだろうかといつも問いかけています。

  色んなことに躊躇してしまう毎日ですが、とにかく「ありがとう」と感謝を忘れずに、自分らしく生きていくことが臓器を提供して下さった方やそのご家族へのせめてもの恩返しになるのではないのかと思っています。

 そのことを噛みしめつつ、毎日を丁寧に生きていこうと思います。

*ストマ・・・小腸の一部をおなかの外に引き出して腸液の排泄ができるようにしたもの。人工肛門ともいう。

主治医より

 口から食べた食物は胃を通って、小腸という細長い管状の臓器で栄養を吸収して排泄されます。その小腸が疾患などで短くなってしまったり、食物を口からお尻の方に送っていくことができなくなったりすると栄養を吸収することができません。その場合には栄養を点滴する治療を行いますが、点滴できる血管がなくなったり、内臓に障害が出てきたりすると、小腸移植という治療を行います。日本では2018年に保険診療となった比較的新しい治療です。

 小腸移植はストマという形で一部が体表に出ているため、移植された臓器を目で見ることができる唯一の臓器移植です。提供していただいた体の一部は今でもここで生きているということが実感できます。また、患者さんがおっしゃっていた「食べた栄養が、吸収された体にみなぎるように感じる」ことは移植チームも知りえないことで、本当に体の一部が生着したことを感じさせてくれます。

 このたびは、ご家族を失うというつらい状況の中で臓器提供をしていただいたご家族の決断と提供者のやさしさに感謝するとともに、小腸が失われたことで不自由な生活を強いられ、命の危険にさらされていた患者さんが移植により元気に過ごされているのが何よりうれしく思います。

 移植を受けた患者さんと、提供していただいた方の体の一部を守っていくということが移植チームの使命だと考え、その責任の重さを痛感しつつ、今まで別々に生きてきた方たちの生命をつないでいけることがこの仕事の喜びです。

TOP