小冊子 think transplant Vol.34
はじめまして。この度は、ドナーの方の心優しい意思と、悲痛の中で決断してくださったご家族の方々に、心より感謝申し上げます。
私は高校2年の頃より、不整脈や目眩、嘔吐などの症状が表れるようになりました。卒業式の直後、我慢の限界に達し、緊急外来を受診したところ、そのまま即入院、いつ死んでもおかしくないという状態にまで心臓は悪くなっていました。
治療は悪化の速度をゆるめるのが精一杯でした。次第にベッドから身を起こすことさえ困難になり、ほとんど身動きのとれないまま、心拍数が異常であることを知らせるアラーム音を終始聞いていました。
その後、血液循環のためのポンプ機能を補う、補助人工心臓を埋め込む手術を受けました。それから約2年半、腰に小型機器とバッテリーを装着した状態で毎日を送っていました。外出は付き添いがないとできず、外出しても、バッテリーの残量が不安だったり、アラーム音が突然鳴らないか気になりました。また、埋め込まれた管が腹部から出ていたため、その部分の衛生管理などに神経を擦り減らす日々でした。
そんな中、突然、ドナーの方がいらっしゃることを知らされ、驚きと胸が痛む思いで、複雑な気持ちになったのを覚えています。
心臓をいただいて、まもなく1年が経ちます。
入院中や補助人工心臓をつけている時に叶わなかったことが、今ではできるようになりました。
ベッドの上でごろごろしてみたり、身体のストレッチをすると、これまで縮こまっていた身体がほぐれていくのと同時に、心がほころぶのを感じます。
外出も1人で自由に行けるようになり、何処に行ってもその場所の空気やにおいを鮮烈に感じられ、景色や人の優しさをより一層、深く感受できるようになりました。
現在は大学で、文学を学んでいます。新しい知識を得たり、好きな作家の新刊が出る度、生かしてくださった喜びをひしひしと感じます。これから、少しでも社会や人の役に立てるよう、精進して参ります。ドナーの方、ご家族の方々に、「授けて良かった」と思っていただけるよう、これからも日々を丁寧に過ごしていきます。
私は時折、右手を心臓の上にあて、しばらく深呼吸します。すると、あたたかい皮膚の下で、確かな命が脈打っているのがはっきりと分かり、いただいた心臓の尊さを、ドナーの方との繋がりを実感するのです。
感じる、という類の言葉を多く使ってしまいました。それほどまでに、人生を豊かに過ごせるようになったことが、伝わっていれば幸いです。
本当に、ありがとうございます。
ドナーの方のご冥福、ご家族の皆様のご健康を、心よりお祈りしております。
命をつないでいただいてから、もうすぐ1年が経とうとしております。言葉では言い尽くせないほど感謝の気持ちでいっぱいでございます。
息子は現在大学4年生の年齢です。
高校3年卒業式の数日後、息切れ・目まい・吐き気がして緊急外来へ行きそのまま入院となりました。こんな状態になるまで親に話すこともできず1人で不安と戦っていたのだと思います。病状はどんどん悪くなり、水分さえ思うようにとれなくなり、氷を口に含んでおりました。私は毎日、不安で怖くてたまりませんでした。
転院ののち、補助人工心臓装着の手術も無事に終わり、大学へは、後期の9月より通い始めました。
補助人工心臓を装着しているため、どこへ出かけるのも家族の付き添いが必要で、大学へは、満員電車・人混みは避け、2時間近くかかって通っておりました。授業を受けている間は、近くで待機しておりました。授業の後、友人達と出かけることもありましたが、私達を気遣ってか、徐々に出かける回数も減っておりました。転んだり、人とぶつかったりしないかと、自宅に着くまでは、緊張の日々でした。
今では、それらの心配もなくなりました。
手術後は、実家を離れて、母親と息子とで大学近くに住んでおります。歩いて大学まで行き、授業の後も出かけることが多くなったようです。1人の時間・友人たちとの時間を楽しんでいるのだと思います。
まだまだ心配は絶えませんが、いつもドナー様が一緒にいてくださり、息子を守っていただいているような、そんな気がいたします。息子と一緒にいていただいていることに、心より感謝申し上げます。
これから息子には、託していただいた命を大切に、自分の人生をしっかりと歩んでほしいと願っております。私達も息子を見守り最大限の努力をしていく所存です。
ドナー様・ご家族様にご理解いただきましたこと、大変あり難く、心より深く深く感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。