教師として移植者としてドナーの想いを伝えたい

やりたいことができない呼吸苦

私は十数年前、職場の健康診断で肺に若干の影がうつり再検査を受けた結果、難病(リンパ脈管筋腫症)とわかりました。

治療法がないこと、今後の経過、予後などについて説明を受けました。
  症状としては労作時の息切れがあり、階段では1段昇っては呼吸を整えと、階段は私にとって恐怖そのものでした。階段ばかりではありません。人と同じペースでは歩けなくて、ゆっくりゆっくり、そして呼吸を整えるために休憩、お風呂に入りシャンプーするのにも呼吸が苦しく寒くても呼吸を整えるのが最優先、そして物を拾うなど些細な行動までが呼吸苦の状態になりました。人はどんな時でも酸素を使って動けていることを実感しました。何をするにしても呼吸苦が伴うので、やりたいこととできることが違うことを思い知らされました。やりたいことができない、諦めなくてはならない辛さははかり知れないものでした。度重なる肺炎に、もうこれ以上治らないのではと思う日もあり、死に恐怖を覚えたこともありました。

移植まで揺れる心

自分が難病であることを知った時は「臓器移植法」がまだ施行されておらず、移植をすることは考えていませんでした。この頃、今まで元気が取り柄であった自分がこんな難病に罹患すること事態受け入れがたく、自分だけは治るとさえ考えていた時期もありました。医学書を見ても載っていないこの難病に戸惑いを感じましたが、インターネットで同病の患者さんのホームページを偶然に知ることができ、ここで初めて移植という道があることを知りました。移植についてはまだまだ未知の世界の話でしたので、自分自身何が何だかよくわからなくて、脳死の方から臓器をいただくという言葉でしか、頭に入ってきませんでした。
 難病発症から数年後、セカンドオピニオンを受けた医師から肺移植の準備(レシピエント登録)を勧められました。決して今の病状がいい状態ではないと聞き、この時初めて自分が重篤な状況におかれていることを知りました。医師は移植によって、在宅酸素から解放されること、通常の生活が取り戻せること、成功すれば予後がいいこと、手術は必ず成功するとは言えないことなどメリット、リスクなど説明をして下さいました。また、レシピエント登録をしてもすぐに移植ができるわけではない、移植をしたいと思ってからの登録では命が間に合わない、とにかく登録だけして移植をするか否かはその後に考えてもいいと言われました。すぐに登録はしましたが自分が本当に移植をするのかわかりませんでした。自分の事とは考えていなかったと思います。
 レシピエント登録をしてからは病状も徐々に進行し、肺炎を起こして入院した時はこのまま病院生活になるのでは、このまま死ぬのではないかと考えるようになっていました。ですが、レシピエント登録をしてからは、この息苦しい生活から解放されたいという気持ちから移植を実感し始めました。脳死臓器移植がニュースで取り上げられる度に自分の順番がいつくるのか、何を準備すればいいのか徐々に考えていくようになりました。体調が思わしくないときは移植すればこの苦しみから解放されると思いながらも、間に合わなかったらと紙一重のところで心は揺らいでいました。そして一番に悩んでいたことは人の死を待たなければならない辛さでした。この辛さは移植手術直前まで消え去ることはありませんでした。

とにかくこの命を大切に

朝早く1本の電話がなりました。臓器のご提供があるという連絡でした。いよいよ自分が移植手術を受ける日が来ました。

限られた時間の中で慌ただしく準備が行われていたせいか、考える時間があまりなく、手術に対する不安もありませんでした。準備をしているさなか、私より先に肺移植をした同病の方が病室を訪ねてくれました。その姿に私は驚きました。酸素をしないで元気に歩いている。「こんなに元気になれるよ」の言葉に救われました。私が夢見ていたことが現実になるのだとわかりました。その頃からだと思います、初めて「感謝」という言葉が頭をよぎるようになっていきました。
手術は成功し、執刀医からはこのタイミングで移植手術ができなければ、命は数ヵ月だったであろうと。命あることがありがたかったです。ドナーへの想いが強くなりました。
術後みるみる体への変化を感じ、低酸素からくるチアノーゼで紫色だった唇や指先がピンク色に。呼吸が苦しくて仰向けに寝ることができなかったのですが仰向けで寝られる。手術から数年たった今でも動ける喜びを感じ、とにかくこの命を大切にしたいと思っています。
生きていられる喜びを感じる中で、悲しく辛い思いをすることも・・・。移植を希望し手術に向かった仲間や待機中の同病仲間と2度と連絡が取れなくなることでした。自分が仲間の分まで頑張らなくては、そしてドナーの分も。自分の命は自分だけのものではない・・・。

ドナーの想いを伝えたい

 ドナーについては知ることはできないですが、ドナーが誰かのためにと思っていたことには間違いがないと思い、私はその想いを知らせたいと考えました。


私は自分の職業である保健体育教諭をいかし、保健の授業において生徒達に臓器移植について話をしています。生きること、命の大切さについて何かを感じてもらいドナーの想いが伝わればと考えています。
家族や私に関わる全ての人に感謝します。私の命を救ってくださったドナーとそのご家族の勇気ある選択に敬意を表し、ドナーのご冥福を祈ります。

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