移植したことで、私はたくさんの幸せを頂いています。

小学生で発症「一生治らない」

私が、1型糖尿病を発症したのは10歳の小学校5年生の時でした。のどが渇き水分をよく取るようになり体がとてもだるい日が続いたので、母と地元の病院に診察を受けに行くと、尿に糖が出ているとのことでした。もっと詳しく検査をするために、大きな病院への紹介状をもらい、入院を予約しましたが、入院を待っている間に昏睡状態になり、気が付くと病院のベッドで一週間が過ぎていました。最初は、入院している間だけ治療を頑張れば治る病気だと思っていましたが、治療が少し落ち着いてくると、看護師さんから自分でインスリン注射を打つ練習や血糖を測る練習をさせられたり、栄養士さんからカロリー計算の勉強をさせられるようになり、当時の私には理解ができませんでした。少し時間が経つと、「貴女の病気は一生治ることがありません。でも、うまく病気と付き合っていけば大丈夫だよ。」と告げられ、大きなショックを受けたことを覚えています。
一生治らないということは、一生インスリン注射を打たないと生きて行けないということなので、とても抵抗がありました。抵抗があるまま思春期になると、ますます自分の病気が嫌で仕方が無く、病気を受け入れることができないまま20歳を過ぎましたが、22歳の頃に出会った先生が私を大きく変えてくれました。この先生なら信用して病気と向き合って行ける様な気がしたのですが、私にはすでに糖尿病による合併症が出始めていて、「硝子体出血(*1)を起しているので透析導入も近いかもしれない」と告げられました。私は、一日でも透析導入を延ばしたいと思い、先生と相談しながら治療を進めましたが、その間も眼の手術を7回、手の弾撥指(*2)の手術を6回しました。 

糖尿病の根治療法として移植を受ける決意

治療を続けている中、テレビのニュースで、糖尿病の患者さんに対する膵腎同時移植が初めて行われたことを知りました。自分でさらに詳しく調べ、移植の良い点も悪い点も理解した上で、私も可能性があれば移植を受けたいと思うようになりました。
初めに透析導入の話が出た時から十数年経ち、とうとう透析をすることになり、透析開始と同時に膵腎同時移植の準備を進めました。移植希望登録の前に、家族間で行う生体移植の話もありましたが、私の父は他界しており、母は病気があったので生体移植はできませんでした。国内で死後の臓器提供による臓器移植をするためには、(社)日本臓器移植ネットワークへの移植希望登録が必要です。移植施設は、自分で選ぶことができるので、信頼できる先生のいる県外の病院に登録を希望し、検査入院をしました。入院している間、生体移植をしたばかりの方や日本で初めて膵腎同時移植をした方を紹介されて、色々な話を聞かせて頂く機会に恵まれました。話を聞けば聞くほど私には信じられない夢の様な世界に思えて、本当にこの方たちが今まで私と同じ病気で苦しんでいたのかと耳を疑うほどでした。私は益々、移植をして普通に元気になりたいと思いながら検査と登録を済ませて地元に帰りました。ですが、帰ってからの私はあまり体調が思わしくなく、今までも辛い思いや悲しい思いをたくさんしてきたのに、さらに苦しい日々を過ごして心も体もすっかり病気に振り回されていました。

父親の角膜提供そして自分の膵腎同時移植

2010年7月に臓器移植法が改正され、15歳未満の子どもから脳死で臓器提供ができるようになりました。自分が登録をしていることもあり、臓器移植には深く関心を持っていましたが、今まで移植ができなかった小さなからだの子ども達にも移植ができるチャンスが拡がって良かったな、と思っていました。また、その後、脳死で臓器を提供する方が増えていることもわかりました。
その後、数ヶ月も経たないある日突然、膵腎同時移植の第一候補にあがっているという電話連絡があり、先生と相談して、この移植を受けることにしました。移植手術後、私はICU(集中治療室)に2週間ほど入っていましたが、そのときの記憶がほとんど無く、目が覚めても何故自分のからだにこんなにもたくさんの管が付いているのか全く理解ができず、先生や看護師さんから移植をうけたと聞かされても信じられずにいました。少しずつ記憶が戻り、抜糸をする時に初めて理解ができ、移植を受けた実感がしました。その後は、涙が溢れて止まりませんでした。ドナーとそのご家族の深い悲しみの中、大きな決断をされたことを思うと・・・ とても、言葉にできない思いでした。
私は5年前に父を亡くしました。他界する数日前に死後の臓器提供を申し出ましたが、条件が合わず、提供が可能だった眼の角膜だけ承諾し提供しました。角膜だけでも提供できたことは、今でも良かったと思っています。ですが、父が他界した時のことを考えると、臓器を提供されたドナーとそのご家族の心境は、苦しみ悩み抜いた中での決断だったと思います。そんな、大切な膵臓と腎臓を頂き、心から感謝しています。

普通に生きる喜び

入院中は、何度か大変な時期もありましたが、頂いた膵臓と腎臓から"頑張れ"と応援をもらっている気がしました。"私も頑張っているのだから貴女も頑張りなさい"と言われている様な・・・。これから先、私と新しい膵臓と腎臓が一緒にやっていけるのか試されているのかな?って、思うようになり、時間と共に痛みが少しずつ消えて体がとても楽になりました。
移植したことで、私はたくさんの幸せを頂いています。普通に生き、普通に生活できる喜びは、ドナーとそのご家族のご理解と善意、そしてこの移植に関わった先生方や移植コーディネーターをはじめ、私の知らない所で、たくさんの方が色々な所で動いて下さったお陰だと思います。多くの皆様への感謝の気持ちを忘れずに、精一杯に生きて行きたいと思います。手術して3ヶ月後に退院しましたが、まだまだ、拒絶反応や感染症の問題などもあります。でも、普通の方とほとんど変わらない生活が送れています。私の第二の人生のスタートだと思って、これから先をとても楽しみに希望を持って頑張って行きたいと思っています。本当にありがとうございます。

1型糖尿病の特徴とインスリン治療の実際 藤田保健衛生大学 杉谷 篤

膵臓移植の対象となる1型糖尿病は、遺伝素因や感染をきっかけに膵臓のインスリン産生細胞(β細胞)に対する自己抗体ができてしまい、細胞が破壊されてしまうことにより発症します。小児期に発症することが多く、直ちにインスリン注射が必要になるので、若年型糖尿病、インスリン依存性糖尿病(IDDM)とよばれ、成人になってから過食・肥満が原因で発症する2型糖尿病とは異なります。インスリンの自己注射を1日4回しながらも血糖変動が大きく、不意の低血糖発作は生命の危険もあります。

 

(*1)硝子体出血:早期に顕性化する糖尿病性合併症のひとつで、網膜症、眼球の硝子体(レンズ)内への出血です。これが進むと手術が必要になったり失明の原因となります。
(*2)弾発指:指の関節を取り巻く腱鞘が炎症を起こしたり、物質の沈着によって動きにくくなることで、透析合併症のひとつです。

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