息子の突然の死から11年

妻は、ベッドに横たわる息子の顔に、自らのほほをつけました。弟は、兄が大好きだったオートバイのキーを、そっと手に握らせました。
私は、彼の片方の手をしっかりと握りしめました。苦しそうだった彼の表情が、いつしか安らかな表情に変わったように感じました。
息子は、家族に見守られて、静かに24年間の短い生涯を終えました。
そこは、転落事故現場から50mも離れていない大学付属病院の救急救命センター・・・医学生だった息子が、2か月前に白衣姿で1泊2日の研修を受けたところでした。
ドナーカード(意思表示カード)を持っていた息子の突然の死から、今年で11年目を迎えます。
当時、24歳の息子は、都内の私立大学医学部の4年生でした。柔道が好きで、カメラが好きで、オートバイが好きな若者でした。
北海道の我が家は、夏休みや3月休みのたびごとに、毎年、サークル仲間や同級生たちが大勢押しかけてきて、まるで合宿所のような賑やかさでした。

意思表示カードを持つことは、医学生としての誇り

その年の10月初旬のことです。 突然、息子の急を知らせる電話が、夜中に友人から入りました。 息子は、柔道の練習を終えた後で、大学構内の5階にある柔道部室の窓枠に腰をかけて涼んでいたところ、バランスを崩して地上に転落をしたのだそうです。
取るものもとりあえず、夜明けを待ち始発機に飛び乗って、息子が運び込まれた大学付属病院の救急救命センターに駆けつけました。
集中治療室のベッドに横たわる意識不明の息子の顔を一目見たとき、これはきわめて危険な状況だ・・・と、医師ではない素人の私でしたが、すぐに判りました。
息子は、意思表示カードを持っていました。
妻も弟も、そのことを知っていました。妻は海外旅行に行くために上京した折、ほんの軽い気持ちで、息子に求められるままに同意の署名をしていました。
親子4人で食事をした横浜中華街のレストランで(今振り返りますと、それは親子4人で外食をした最後の機会でした)、兄と隣同士に座った弟は、「何かあったら、意思表示カードを持っているので、よろしく頼む」と、兄からカードを見せられていました。
ただ、その後、このような深刻な状況を迎えることになるとは、その時、家族の誰もが夢にも思っていませんでした。
息子は、友人に「意思表示カードを持つことは、医学生としてのおれの誇りだ」と話していたそうです。親戚にもそういう話をしていたと、後になって聞きました。
息子が自らの口を開いて自分の意思を告げることは、もう出来ません。
ベッドに横たわる意識不明の息子を前に、彼が所持する意思表示カードを、どのように扱ったらよいのか、残された私たち家族は、本当に悩みました。

苦しみ悩み意思を尊重

おそらく将来、息子が医者になったなら、優秀な医者にはなり得なくても、人の気持ちが分かる、いい医者になっていただろうと思います。
でも、それができないのなら、彼の意思を尊重することが大切なのかもしれません。
親として、家族として、本当に苦しみ悩みましたが、息子の意思を尊重することにしました。

息子の意思を尊重して、臓器提供をいたします・・・と、苦悩の果てに家族としての最終決断に達したとき、首に損傷を負っている息子は、脳死判定基準をクリアすることが出来ないと、担当医師から告げられました。
法的な脳死判定が出来ずに、心停止後の提供になりました。 心停止後に、腎臓と角膜をレシピエントに移植をしていただきました。
息子がほぼ脳死状態に陥った中で、判断を間違えてはならない、冷静にならなければならないと、私は何度も自分自身に言い聞かせました。
息子が亡くなった後、臓器が劣化をして、結果として臓器提供が不可能な状況になることだけは、何としても避けなければならないと考えました。
そのことは、意思表示カードを所持している息子が、一番望まないことだと確信をしていたからです。
カードには「全ての臓器を」と書いてありました。「全ての臓器を」望んだ息子の意思は、かなえてあげられなかったけれども、今も、胸を張って「お前の気持ちをかなえるために頑張ったよ」と伝えてあげたいと思います。
息子は親より先に逝くなんて、本当に大ばか者です。でも、そのことだけを除いては、実に素晴らしい男でした。親の私がほれぼれするほど、明るくて、勇気があって、思いやりが深くて、さわやかで、本当に素晴らしいナイスガイでした。
息子と酒を飲みますと、私はいつもこう漏らしたことを思い出します。「私は医者ではないし、お前に継がせる病院や医院もない。ぜひともお前は頑張って『国境なき医師団』に入れ。
アフリカでもどこでも行って、あんまり銃弾の下は困るけれど、後方部隊で子供たちを助け、柔道を教えたらいいじゃないか」。それが私の口癖でした。
あるとき、そういう席で息子が初めて「親父、私立大の医学部は授業料が高いのに、よく俺を入れてくれた。感謝するよ。もう二度と言わんからね」。笑いながら話してくれました。
この言葉を、私は、私に与えられた、大きな大きな勲章だと思っております。

親としての最後の務め

息子が意思表示カードを持っていたことは、理由も無くただ持っている・・・とか、流行りだから持っている・・・とかではなくて、そこに医学生としての息子の強い意志があると思いました。
そこに『医学生としての息子の誇り』があると考えたのです。その息子の誇りを大切に守ってあげることが出来た・・・とても残念なことですが、それが息子になし得る、親としての最後の務めでした。
私ども夫婦の大きな希望であり、楽しみであった息子は、私どもの前から忽然と去っていきました。そして11年後の今も、あの日、あのときと同じように、私たちは息子を亡くすという大きな試練の前に、ただ茫然と立ち尽くすばかりです。
「本当にこれで良かったのだろうか?」。そんなたまらない思いが、胸をよぎることもしばしばあります。でも、臓器提供して良かったと、すぐに思い直しています。
意思表示カードを持っていたことは、医学を志した息子の医学生としての誇り・・・もし、提供しなかったとしたら、もっとたまらない、取り返しの つかない気持ちになっていたはずなのですから。

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