息子の短い生涯と最後の願い

 平成14年3月2日、息子康輝は治療先のドイツで脳死の判定を受けました。人工心臓を着けており呼吸の声も聞こえ、まるで眠っているかのようでした。
康輝はわずか11年という短い生涯でした。
 辛い現実のなか、私は康輝の臓器の提供を申し入れました。そして康輝のじん臓、すい臓、角膜が摘出され数名の方が助かったと聞きました。
 息子は若干の心臓病を持って誕生しましたが、ごく普通の子どもとして、すくすくと元気に成長しました。
 突然の悲しみが訪れたのは息子が小学校2年の時でした。
定期精密検査で心臓に異常が発見され診断の結果、拡張型心筋症という心臓病でした。
その後あらゆる内科的治療を受けましたが回復の気配がなく自力での再生の道を絶たれ最終的に移植治療しかないと医師から宣告されました。
 私は医師から告知された全てを息子に説明しました。治療を受ける際に一番重要な事は患者本人の強い意志だからです。
話しを聞いた息子はとても受入れる事ができない状態でした。
「なぜぼくは学校へ行けないのか」、「なぜぼくは走れないのか」悩み・苦しんだ日々が1ヵ月程続きました。
そして覚悟を決め私たちに「お父さん・お母さん・そして病院の先生の言うことを聞くから僕を治してください」と言ってきました。
私はこの時何としても息子を元の元気な身体に戻すと心に誓いました。
 そして大勢の皆様のご支援・ご協力を賜り、移植治療先であるドイツへ渡りました。しかし到着後翌日に様態が急変し、そのまま意識が戻らず脳死の宣告を受けました
。  帰国後、私は新聞・テレビ等多くの報道関係の取材を受けました。移植治療の現実を広く一般の方々に知って頂きたい。そして今後渡航移植を希望される方がより多く成功してほしいと思ったからです。
 取材時に必ず二つのことを聞かれます。
ひとつは「最愛の息子さんの臓器をなぜ提供できたのか」そしてもう一方は「息子の臓器を受け取られた方への思いについて」です。
 まず息子の臓器を提供した理由は、息子本人の意志であったからです。
 息子は自分の病状を理解し、移植治療ができなければ自分がどうなるかわかっていました。
ある時何気なしに「自分が反対の立場つまり臓器を提供する立場になった時はどうしたいか」と尋ねたところ、息子は「自分は心臓をいただかないと生きていけないのだから、 反対の立場になった時は臓器を提供しないというのはおかしい。使えるものは使って」とはっきりと申していました。
親として正直驚きましたが、息子が精神的に強くなったなと嬉しく感じたことを覚えています。
脳死の宣告を受け真っ白な状況の中で臓器の提供を申し入れたのは息子の最後の願いがあったからです。
 次に息子の臓器を受け取られた方についてですが、取材にこられた方が「お会いしたいですか、お話ししたいですか」と尋ねられますが私はそうは思いません。
 ごく普通に何のハンデもなく幸せに暮らしてください、とただ思うだけです。
誰に対しても何の遠慮もなく一人の人間として元気で、すくすくと成長してほしいと思います。

命のリレー・優しさの治療

 移植治療は「命のリレー」と私は考えています。移植治療というのは単なる臓器の移動でしょうか。
そこには提供者の心があり、思い入れがあります。同様に受け取る方の心があり思いがあります。
だからこそ「単なる臓器の移動」ではなく「命のリレー」と信じています。
さらにつけ加えれば、移植治療は「優しさの治療」ではないでしょうか。
 とはいえ息子が他界後、失意と後悔の日々が一年以上続きました。  そんな中ある転機がありました。  それはドイツ滞在時に現地医師のことばを思い出したことでした。 「今のあなたに何を言っても受け入れられないと思いますが、人の幸せは人生の長さだけですか」と。
さらに「あなた方の話しを聞くと、息子さんはたいへん密度の濃い人生だったのではないですか」とも。
 そこから私の中で何かが変わりました。もっと前を向こうと。そして息子のできなかった事を私が実行しようと。

息子が教えてくれたこと

 息子は多くのことを教えてくれました。  息子は自分の将来の進路を考え、夢は弁護士になり社会の弱者を助けることと話していました。辛い闘病生活の中、よく勉強し最後まで目標と誇りをもって頑張る姿を目にし、親として嬉しいかぎりでした。人は逆境によって大きく成長するものだと思いました。さらには小学生でも日々努力を続ければ、我々大人と同等の考え方や判断能力が身に付く事を教わりました。  息子は小学生だから治療他あらゆることに対し親がリードしなければならないと決めつけていました。しかしそれは間違いでした。病気に対し正々堂々と真正面から闘い続け、自分の現在と将来を考え行動し感謝の気持ちと社会への貢献を考え、親である私が教えられたことが数多くありました。  当時は、子供は臓器提供の判断能力が乏しいため認められない事になっていましたが、はたしてそうでしょうか。人によって身体や心の成長のスピードが違うように、臓器提供の判断能力も人によって年齢が違うのではないでしょうか。

ご苦労様そしてありがとう

私は息子のお墓に感謝と敬意を込めて次の言葉を入れました。
「君に出逢えてうれしかった。苦難と闘い続けた11年間。ご苦労さま、そしてありがとう安らかに。」と。
 息子が他界し時間が経過した今思い返すと私たちはまだ幸せだったかも知れません。
 移植治療が必要と診断されても何らかの理由で治療を断念された方が大勢いらっしゃいます。天に昇る日をベッドの上でじっと待っている患者さん、そしてご家族の方の心中を察すると胸が痛みます。
 私たち家族は息子が発病後、最後まで回復を信じ闘いつづけました。そして移植治療先であるドイツへ渡ることができました。
わずか一日ですが息子は自分の足でドイツの地に立ちました。ドイツの空気を精一杯吸いました。夢にまで見たドイツで息子は満面の笑顔でした。あの笑顔は私の中でいつまでも生きつづけています。
 私は息子からそして社会から多くのものをいただきました。
このいただきものを移植治療の啓蒙活動で社会に返していきたいと思っています。これが息子に対し何よりの供養になると信じています。
 最後になりますが、どうか移植治療に関心をお持ちください。
どうか移植治療について、考えてみてください。
そして大切な人と移植治療について話し合ってみてください。

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