元気なこと、生きる喜びを体で実感することができました。

ドナー、ドナー家族の方に心から感謝します

私は、2年前に献腎移植を受けることができました。
最初に、ドナー、ドナー家族の方々の崇高なご意思に、心から感謝とお礼を申し上げます。
「本当にありがとうございました。」
私と腎臓病との付き合いが始まったのは9歳のときからです。
それまでは外で遊ぶことが好きで、活発な私でしたが、家の中でゴロゴロするようになり、母が心配して近所の病院を受診したのがきっかけでした。
透析に入ったのは、28歳の頃からで、その前後数年は、初めて行う透析に対する不安、今後自分はどうなってしまうのか、あと何年生きられるのかと精神的にとても落ち込み、仕事もせず「ひきこもり」の様な状態でした。
移植の登録は、透析導入時に行い、「いつか自分も移植手術を受ける日がくるんだろううなあ」と、そのときは他人事のように考えていました。

念願の透析離脱

移植の連絡は3度来ました。
1度目は長男が生まれる前日の平成4年8月で、妻を見舞い自宅に帰ると、父から連絡があったことを知らされましたが、決められた時間内で回答することができない状態で、次の方に権利が移りました。
2度目はそれから7年後で、「3番手で選ばれました」との連絡でしたが、その時は子供も小さく透析も順調でしたので、移植をした場合にこのリズムが壊れてしまうのではないか、移植したことで拒絶が出て入院したり仕事ができなくなりはしないか、免疫抑制剤を飲むことで風邪をひいただけで肺炎などを引き起こすのではないか、と不安の方が多く辞退しました。でも、この夜は、「これで本当に良かったのだろうか」とそのことばかりを考え眠れませんでした。
そして3度目の連絡は、「1番手で選ばれていて、検査をして異常がなければ移植を受けることができます」とのことでした。このときは、透析も20年を超えていて、透析による合併症のことも気になりだしていましたし、何よりこのチャンスを逃したくない、前回のこともあり後悔したくないと強く思いました。また、移植の知らせをいただいた電話でもこちらの質問にハキハキと答えてくれ、とても安心感が伝わってきました。  決意を固め病院へ向かい、CT、レントゲン、心臓エコー等の検査を受け、透析を行ってから移植手術を待ちました。主治医とのインフォームドコンセント後、移植手術後飲み続けなければならない免疫抑制剤を初めて飲み、歩いて手術室へ向かいました。
4時間後ICUに戻ってきたそうです。
待ち望んだオシッコは、すぐには出ませんでしたが、移植手術後3日目から210cc、4日後1190cc、7日後には4100ccと順調に出始めました。
私の中でドナーの方の命が再び脈打ち出しました。
4日後のオシッコが1190cc出た日に、先生から「もう透析に行かなくて大丈夫です」と告げられました。

移植の素晴らしさを伝えていく

移植後1年半を経過し、「全国移植者スポーツ大会」や「グリーンリボンランニングフェスティバル」にも出場することができ、元気なこと、生きる喜びを体で実感することができました。スポーツ大会を通じて同じ移植者同士の交流もでき、何よりもドナー、ドナー家族の方々には元気になった私を見てもらいたい、そして移植に不安を抱えて待機している方々には、移植の素晴らしさを伝えられたらと思いました。今までは、腎不全になると血液透析か腹膜透析という選択肢しかありませんでしたが、今後は移植という選択肢もあたりまえのようになされると思いますし、説明もされるべきだと思います。腎不全の治療として移植医療は最善の方法なのではないでしょうか。しかしながら、移植医療は第三者の尊いご意思があって成立する医療であることを忘れてはいけません。
日本でももっと多くの方に移植医療について知っていただき、移植医療について理解を深め、「日本で助かる命を助けられる国」になってもらいたいと思います。そのために、私も「臓器提供意思表示カード」配布、「臓器移植推進パレード」の参加等、自分にもできることは少しでもお役に立っていきたいと思っています。

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