ドナー、家族、そして生まれてきた息子への感謝の気持ちを紹介します。

私が英国の地で脳死ドナーの方からの肝臓移植手術を受けたのが、今から11年前の1996年4月25日です。

毎年、私の第二の誕生日とも言える大事なこの日が来るのを不安と期待が入り混じった気持ちで迎え、また無事に迎えることができた事を感謝する日となっています。

 

大病とは無縁だと思っていた私の元に、“脳死肝移植”は突然やってきました。

父の海外赴任に伴いロンドンに引越してから6年目。当時大学4年生だった私は、軽い風邪のような症状が続いていたものの、普通に過ごしていました。しかし、イースター休みの後、数日に渡り40度の高熱が出て食事も全く取れない日々が続きました。医者にいくと風邪だろうと診断され家で寝ていました。

私の記憶はそこで途切れています。

次に私が覚えているのは病室の天井、機械の音、そして家族の心配そうな顔です。私の知らないうちに色々なことが起こっていたのです。

 

4月23日に私は自宅で意識を失い、病院に運ばれました。そしてその半日後、急激に肝臓細胞が破壊される原因不明の“急性劇症肝炎”と診断されたようです。刻々と肝機能の値が悪化していく容態により、家族は肝移植しか助かる道がないと告げられました。自らの肝臓を使って生体間移植をして欲しいと申し出た家族に対し、「英国では生きている人の肝臓は使いません」との回答。。。

非常に容態が悪く一刻を争う事態で、移植待機者リストの上位だったようです。翌日には適合するドナーの方が見つかり、25日に12時間にも及ぶ移植手術を受け一命をとりとめました。意識を失ってから3日間という急な出来事でした。

意識が少し戻った私に、父がじっくりとその内容を説明してくれました。しかし最初は自分が手術を受けたことも理解していなければ、移植そのものに対する知識も無かったために、その重大性やその後の生活に関する不安など完全に理解するまでには少々時間がかかりました。

入院中は1,2回拒絶反応が起きたり、退院後に3回ほど再入院しました。

しかし先生やコーディネーターの方々のケア、家族のサポートもあり、その後の経過はおおむね順調で、移植後約10ヶ月で日本へ帰国し、すぐに一般企業へ就職しました。

またその後再び英国に戻り、自分がやりたいと思っていた仕事や経験も得る事ができました。

脳死肝移植から約8年半後に結婚し、その8ヵ月後には妊娠が判明。当初は非常に迷い悩みました。

というのも退院時に受けた説明の中で、肝臓の拒絶反応を防ぐためにほぼ一生涯にわたり免疫抑制剤を服用し続ける事による胎児への影響なども聞かされており、出産は半ば諦めていたからです。

「お腹の赤ちゃんへの影響はどうなのだろうか。妊娠期間の10ヶ月、私の体は持ってくれるのだろうか。また薬の副作用への心配もある。抵抗力が落ちており感染症にかかりやすい為、体調を大きく崩すことの多い私に、果たして子どもを育てていく事ができるのだろうか・・・」と。

大きな迷いや多くの不安の中、主人や家族、友人、医療関係者など多くの方々の支えと助けのお陰で「リスクはあるけれど、出産に挑戦しよう。」と決断することができました。

想像していた通り、妊娠期間中は順調ではありませんでした。体調不良に始まり、免疫抑制剤の量も増え、このままどうなってしまうのだろうと不安で一杯の10ヶ月でした。この間、ずっとお腹に手を当てて「ごめんね。でも一緒に頑張ろうね」と話し続けていました。

そして移植からほぼ10年後となる2006年4月、息子を出産。最後まで励まし勇気づけてくれた多くの方の言葉で、比較的冷静に「私でも普通の出産ができるんだ」と勇気付けられた気がします。

 元気よく泣いているわが子をこの腕に抱いた瞬間に心から溢れ出た感情は、「本当にありがとう」でした。「これからの長い人生において、山も谷もあるだろうが、負けずに駈け抜けてほしい」と主人が「駈(かける)」と名付けました。今では息子も1歳を迎え、心配していた事もそれほど起こらず、毎日笑いの絶えない張りのある幸せな毎日を送っています。

 このたび、(社)日本臓器移植ネットワークのキャンペーンへ息子と2人で出演しています。

 「一人の命が救われた。だけではなかった。」というキャッチコピーと共に、脳死移植を受け救われた命が小さな命に引き継がれたと、命のリレーがつながったことを伝える内容になっています。

 私が移植を受けた年は日本では臓器移植法が施行される直前でした。あの時に英国でなく日本にいたら、私は命を落としていたかもしれません。移植医療が私の命をつなぎとめ、結婚や出産という叶わなかったかもしれない夢を叶えてくれました。命の大切さを気づかせてくれました。たくさんの勇気や希望を持てるようになりました。

 日本では脳死移植に対してなかなか解決できない多くの問題や意見があります。しかし、これらの課題に取り組む時に移植の難しさだけではなく、命が次世代に受け継がれていくという素晴らしさも併せて伝えていければと思います。 移植を受けて元気に生活している姿を多くの人に見て知ってもらうこと。移植を受けたことにより得られた幸せを伝えていくこと。この私ができることは限られていますが、私のようなケースを知っていただくことで、命を救い次の世代に繋がる命を与えてくれた臓器移植への理解に少しでもつながっていけば嬉しいです。そして一人ひとりの大切な「命」についてご家族の方と話し合う機会を持っていただくきっかけになれればと思います。

 私にとって移植後の11年間はとても意味のある年月でした。突然突きつけられた移植の事実、そしてその後のリハビリ等、思い出すのも辛くなるほどの事も多くありました。両親や妹達はこの突然の出来事をどのような思いで受け止めていたのでしょう。

 辛く苦しい時も常に前向きに過ごすことができるのは、私に新しい命を与えて下さったドナーの方への感謝の気持ちがあるからです。英国では臓器提供者の情報開示はありません。しかし、出来ることならば“貴方からいただいた命は、こうして大切に息子にまで引き継がれていますよ”と見知らぬドナーの方やそのご遺族のみなさまに伝えたいと思います。

 息子の笑顔や寝顔を見て心が和らぎ、ほんのささいな出来事でもとても幸せに感じられるこの毎日が、本当に大切で、 心からありがとうという感謝の気持ちで一杯です。

 息子が大きくなったときに、ドナーの方をはじめ、沢山の方の優しさや支えがあってこその命だという事、そして人の命は貴重で大切だという事をしっかり伝えていきたいと思っています。

今川真紀子

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