コミュニティ

トップページコミュニティデジタルTransplant

 

デジタルTransplant

[特集]世界移植者スポーツ大会in神戸
 去秋、まだ術後数ヶ月で自宅療養中だった時に、世界移植者スポーツ大会のことを知った。たまたま見ていたテレビのニュース番組で、国内大会の様子が報じられていたのだ。「来年は世界大会?テニスもあるんだって。参加できたらいいなぁ」「そうだね。出られたらいいね」。傍らにいた家族と交わした会話を今でもよく覚えている。

 国内での脳死肝移植を受け、諦めていた人生を再び歩み始めた私。日常のささやかなことに喜びを感じる生活の中、何らかの形で恩返しをしていきたいという気持ちが膨らんでいった。だから、スポーツ大会に参加して、私の元気な姿を多くの方に見ていただくことができたら、ドナーの方やそのご家族の方、医療関係者の方々、家族、友人など、私が生命を取り戻すために力を尽くしてくれた人たちに対する恩返しになるのでは・・・と思ったのだ。また、自分の個性である『移植』と『テニス』を同時に表現できる貴重な機会ということも、私の意欲をかき立てた。

 そしてその後、順調に回復し、健康を取り戻していった私は、2001年8月26日の開会式当日、日本チームのユニホームを着て、idカードを首から下げ、万感の想いを胸に開会式の会場であるワールド記念ホールに立っていた。
 開会式は、愛と優しさに満ちた感動のセレモニーだった。特にドナーファミリーの方々が司会者に紹介されて場内に入ってこられた時は、涙が溢れた。着席していた選手全員が立ち上がって拍手、拍手、拍手の嵐!国や言葉や世代を越え、皆の気持ちがひとつになった瞬間だった。
 テニスの競技は、開会式の翌日から始まり、1日目はシングルス、2日目にダブルスが行われた。
 社会人になってから、遊び感覚で始めたテニスは、いつのまにか私の生活の一部になっていた。その魅力を一言で語ることは難しいのだが、とにかくやればやるほど面白く、奥が深く、仲間に恵まれたこととも相まって、私の中のテニス熱は年々ヒートアップしていった。病状が悪化し、入退院を繰り返すようになっても、体がもつ限りコートに立っていた私。いつか突然テニスができなくなる日が来るのだろうと覚悟をしながらラケットを振っていたあの頃。そして、予想通りにラケットを置く日が来て、もう二度とコートを駆け、ボールを打つことはないと思ったあの日。試合会場へと向うバスの中で、いろいろなことを思い出し、一人感慨に浸っていた。

 初日のシングルスでは、アメリカ、ドイツ、アルゼンチン、オーストラリアなどの選手と対戦。私にとって外国の選手と試合をするのは初めての経験である。しかも審判付きの本格的な試合形式、そして、ズラリ並んだマスコミ陣とカメラの数々。これで緊張するなという方が無理である。私は何とか平常心を取り戻すべく、コートに入ってラケットを構え、最初の一球を打つ前に、心の中でつぶやいた。「今日もいいプレーができますように」。それは、テニスに夢中になり始めた頃から続けている自分なりの儀式だった。
 それにしても、外国の選手たちは皆、何と明るくて、感情表現が豊かなことか。試合は真剣勝負だが、ふとした瞬間に目が合うとニコッと微笑んでくれたり、いいショットが出た時は、ネットの向こうから「good!」と言葉をかけてくれたり。とてもフレンドリーでいい雰囲気なのである。そして試合が終われば、もうすっかりお友達。勝っても負けても笑顔で握手、抱擁、記念撮影へと続き、言葉が通じないながらも、存分に親交を深めることができた。さて、結果の方はというと・・・自分でもびっくりの金メダル。参加するだけでいいと思っていたのに、でき過ぎである。

 2日目のダブルスは、前日と比べてややのんびりしたムード。私は沖縄・石垣島から来ていた栽さんとペアを組ませていただき、4試合をこなした。残念ながらメダルには届かなかったが、リラックスしてプレーでき、楽しい時間を過ごせて満足している。

 わずか数日の短い期間であったが(私は都合で前半4日間しか参加できず)、それでも十分に楽しく、充実した日々だった。ほんの数年前、死は確かに私のすぐそばにあった。哀しい運命を受け止め、覚悟もしていた。なのに今は、太陽の下で思い切り走ったり、ボールを打ったり、心の底から笑ったりしているのだ。奇跡は、ドナーの方を始め、多くの方々の善意の中で生まれた。そんな幸せを改めて心に刻むとともに、たくさんのふれあいを通じて生命の輝きを感じることができた夢のような大会だった。

 最後に、このような素晴らしい大会を開いていただいたことに対し、事務局の皆さま、ボランティアの皆さま、その他の関係者の皆さまに、心よりお礼を申し上げたい。
乾 麻理子(いぬい まりこ)
先天性胆道閉鎖症のため、生後間もなく手術をしたが、20代後半より病状悪化。33歳の時、肝機能悪化のため入院。国内の脳死による肝臓提供を受けて移植し、半年でフリーのコピーライターとして仕事復帰。
世界の移植者からスケッチブックメッセージ
「決して忘れないで。臓器提供が新たないのち、
違う人生を贈ったことを。」
-レジュ・グリーン
「贈られた生命への感謝、そして、私自身の夢のかたち」-乾麻理子
「生きる喜びありがとう」-玉熊直志
「移植者としてカメラマンとして」-吉江淳
「応援ありがとう!」-加藤直史
「世界へ挑戦!世界の壁は高かった」

戻る

 

TOPへ戻る