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聞き手:雁瀬美佐 撮影:南信司

死がタブー視されていた日本で四半世紀も前から「死への準備教育」を提唱してきた。 誰にも必ず訪れる「死」について考えることは、自分の生命の有限性に気付き、よりよく生きるための教育と言えよう。 だからこそ小さい頃からの取り組みが必要だ。 臓器移植について子供と大人がよく話し合っておくことは、生命の尊厳と社会との連帯性に基づく価値観を互いに知り合うよいきっかけとなるだろう。 デーケン先生の話は、まだまだ広くて深い。
「死の哲学」はよりよく生きる教育
体験に基づいて考えることの大切さ
子供の時から考えておく必要性
学校での取り組み「生と死を考える日」
移植に関わる複雑な気持ちに配慮と支えを
思いやりを安心して形にできる社会へ
「死の哲学」はよりよく生きる教育

雁瀬
日本では、脳死での臓器提供が始まったばかりですが、今まで行われていなかったことに取り組む大変さを多くの人が実感しました。先生は、大学や社会において「死への準備教育」の普及に取り組まれていますが、いろいろご苦労があったのではないでしょうか。

デーケン
70年代後半に、上智大学で「死の哲学」を教えようと思った時は、まだまだ死がタブー視されている時代でしたから、周りからの励ましはほとんどありませんでした。正直言って孤独の道を歩みましたね。ところが私は死について考えることは、どうしても必要だと強く感じていましたから、信念を持って推進できたのです。

雁瀬
死について考えることに取り組むきっかけは、何だったのでしょう。

デーケン
ドイツでの学生時代に病院でボランティアをしていた時、身寄りのない亡命者の臨終までの3時間をひとりで付き添うことになりました。そばに座って話をしようと思ったのですが、その末期がん患者にとって天気やスポーツのような日常的な話題はすでに何の意味も持たないことに気付きました。何が真に永続的な価値を持つのか、どうしたら最期の時を安らかに過ごせるのかと考えながら、私はどうしようもない無力感に打ちのめされたのです。この時から、私は「死の哲学」を生涯のテーマとして取り組むことを決意しました。

雁瀬
そのテーマに信念があったのですね。
デーケン 人間にとって、いつか死ぬというのは確実にやってくることなのです。それにきちんと向き合うことは、現在の自分の生き方がどんな意味をもっているかを知り、限られた時間の尊さを発見することにもつながります。ですから「死への準備教育」は暗い思索ではなく、非常に積極的な意味をもっています。同時に「生への準備教育」でもあると言えるのです。
雁瀬 具体的にどのような取り組みがおこなわれているのでしょうか。
デーケン 人間は死ぬ瞬間までは生きている。死そのものをみつめるのではなく、生きている今という過程を重視した「死への準備教育」を、若い頃から自然に受けられるような普及活動がもっとも大きなテーマです。それと、終末期医療の改善、特にホスピス運動の発展に尽くしたり、死別体験者のわかちあいの場を作って、その立ち直りを支援しています。
雁瀬 よりよく生きるための教育だからこそ学校や社会に組み込まれることを切望されているんですね。
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体験に基づいて考えることの大切さ
デーケン 私のドイツにいる兄の娘ヘルガは小学生時代に人工透析をしていました。週に3回、3時間ずつ病院で過ごすのです。彼女はその体験によって、他の同じ年齢の子どもたちよりはるかに哲学的な疑問をいっぱい持っていました。いまの体験の意味や将来の人生への不安などです。兄は、ヘルガが恋に落ちたら結婚できるのかを心配していました。彼女と話をして、人工透析という苦しい体験によって深く生きることを考えるようになった小学生の素直さと理解力に感心しましたね。
雁瀬 ヘルガさんはその後どのように過ごしたのですか?
デーケン ヨーロッパでは、すでにユーロトランスプラントという移植ネットワークができていて近隣の国からもすぐに連絡が取り合えるシステムになっていました。ヘルガは腎臓移植の登録をし、割合早く移植ができたのです。この姪の移植を実際に体験し、私は日本ですぐに当時のアイバンクや腎バンクに登録しました。そして早くから「死の哲学」の授業の中で学生に臓器移植の話をしてきました。日本でも移植を待っている人が大勢いるのではないですか?と。
雁瀬 反応はいかがでしたか?
デーケン 私の授業を受講している学生の多くが登録したと思います。しかし、私がいろいろな所へでかけて行う講演会などで皆さんに質問すると、とても無関心な返事が返ってきます。「人工透析をしている人は何人ですか?移植を希望している人はどのくらいいますか?」皆さんほとんど知りません。つまり、人々は日々の生活の中で、こういったことにまったく関心を持たないで過ごしているのだと感じました。
雁瀬 移植を待っている人がいることを知らないから、提供することにも気がつかないのですね。
デーケン ええ。ですから、多くの人が人工透析をしたり、移植を待っているという事実をもっと教育で伝えなくてはいけないと感じてきました。自分が提供したいと思っても、家族が反対したらできません。家族でよく話し合うことが必要だとも言ってきました。
雁瀬 それはすべて、ヘルガさんの闘病そして移植という身近な体験が大きなきっかけになられたのですね。
デーケン ヘルガは、その後学校を卒業し就職をして、恋を実らせて結婚もできました。移植によって普通の人生を送れるようになったのです。そこに喜びを感じたからこそ、日本でも多くの方が社会的な問題意識を持って、今何ができるかを考えて欲しいと思います。
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子供の時から考えておく必要性
雁瀬 日本ではドナーが少なくて移植を受けられる方はまだまだ少ないのが現状です。臓器を提供するという行為は受け入れにくいのでしょうか。
デーケン 今、社会にいる大勢の人はそのことについて考えてこなかったからでしょう。「死への準備教育」の基本は生命尊重です。どのように精一杯生きるか、相手のいのちを大切にするかを考えることです。臓器移植はそこに触れる大きなテーマです。できるだけ小学校の時から「死への準備教育」で、自分の生きる時間の尊さを知り、社会で苦しんでいる人への思いやりや責任感を身に付けて欲しいのです。人はひとりで生きているのではなく、人類家族の一員であり、苦しんでいる人がいるなら助けるべきだということを若い時から学ぶ必要があるのです。
雁瀬 臓器移植について家族で話し合うことは、価値観についてのいいディスカッションになりますね。
デーケン そうです。臓器提供は、狭い範囲の医療のテーマだけでなく、人類共同体としての連帯感です。それをテーマに話し合うことで社会や文化に関わるお互いの基本的な価値観を知るいいきっかけになります。
雁瀬 子供たちもとてもよく理解して考えているようです。臓器提供には家族の承諾が大きな決定権を持ちますから、亡くなってからは決して聞くことができない本人の気持ちを、子どもを含めて互いに話し合い伝え合っておくことは大切ですね。
デーケン 話し合うことは、子供でも役に立ちたい、人のためになることをしたいと考えている気持ちを確かめられるいい機会です。
雁瀬 ただ、臓器提供意思表示カードを配る時に「家族でよく話し合ってください」と伝えているのですが、たとえば子供が黄色いカードを手にして「お母さんこれ何?」と聞くと、「まだ関係ないの」と話を終わらせてしまったり、「死ぬ時のことなんか考えちゃだめよ」と言われたりすると聞きます。「死への準備教育」が、まだ学校などで体系的に取り組まれていない今、子供たちが日常の生活の中で話し合うきっかけはあるのでしょうか。
デーケン ペットが死んだり、芸能人や有名な人の死をニュースで見た時でもいいのです。「死ぬってどんなこと?どうして人は死ぬの?お母さんもいつか死ぬの?死んだらどうなるの?」と聞いてくるでしょう。そんな時に、赤ん坊もお年寄りもいつかは死ぬということを正直に答えて欲しいのです。質問をはぐらかすと子供たちは二度と質問しなくなります。大人の恐怖や不安を押し付けて、子どもが死について考える機会を奪ってはいけません。それこそタブーなのです。ただ、その時に恐怖や不安をあたえず、今すぐに死ぬのではないから怖がらないこと、生きているのだから病気になったり交通事故にあわないように気をつけること、みんなで助け合うことを伝えるようにします。「死ぬ=終わり」ではなくて、「みんないつかは死ぬ。だから、それまで積極的に生きることが大切だ」と教えることが思いやりへの教育にもつながるのです。
雁瀬 話をするきっかけを見失わないようにすることが肝心ですね。
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学校での取り組み「生と死を考える日」
デーケン 私は、学校で年に1回「生と死を考える日」を設けて、5つのテーマに沿って生命尊重について学ぶ貴重な時間を作って欲しいと提唱しています。第一は、先ほどから言っている「死への準備教育」。広い意味で生と死を考える教育です。ここで臓器移植についても考えることができます。具体的に、今透析している人が17万人いることを知り、その人達に社会で何ができるのかや意思表示カードに書いて臓器提供したら元気になる人がいることなどを考えさせるのです。思いやりと愛の教育になるでしょう。第二は、子供にとって身近に起こりうる死別体験についてです。喪失の悲嘆のあとを、どう生きるかを指導します。死別体験は今とても多くなっていて、去年私の授業を受講した生徒の13%がすでに身近な人の死別体験をしていました。第三は、自殺防止。今毎日90人の人が自殺しています。第四は、交通事故の防止、第五は、エイズ教育です。後半の3つのテーマは避けられるかもしれない死について教えるのです。
雁瀬 子供の時からきちんと学んでおけば避けられる死にも気がつき、いのちを大切にする教育になるんですね。ただ、教師や親の世代がその教育を受けてこなかったわけですから、戸惑いもあると思いますが。
デーケン そうですね。でも、幸いなことに少しずつ学校でもこの教育に取り組み始めています。私達が主催する「死への準備教育研究会」では、年に何回か教師を中心に多くの分野の人が集まります。実際に授業に取り入れた学校もあります。
雁瀬 教育の現場に携わる方々には何を望まれていますか。
デーケン 先生自身が、しっかりした死生観をもってほしいと思います。それに基づいて、子供に押し付けるのではなく、話し合って考える刺激を与えることが必要でしょう。死について教えるのは同時に生きることの素晴らしさやいのちの尊さを自分で考えられるようにすることです。
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移植に関わる複雑な気持ちに配慮と支えを

デーケン
私は、学校で年に1回「生と死を考える日」を設けて、5つのテーマに沿って生命尊重について学ぶ貴重な時間を作って欲しいと提唱しています。第一は、先ほどから言っている「死への準備教育」。広い意味で生と死を考える教育です。ここで臓器移植についても考えることができます。具体的に、今透析している人が17万人いることを知り、その人達に社会で何ができるのかや意思表示カードに書いて臓器提供したら元気になる人がいることなどを考えさせるのです。思いやりと愛の教育になるでしょう。第二は、子供にとって身近に起こりうる死別体験についてです。喪失の悲嘆のあとを、どう生きるかを指導します。死別体験は今とても多くなっていて、去年私の授業を受講した生徒の13%がすでに身近な人の死別体験をしていました。第三は、自殺防止。今毎日90人の人が自殺しています。第四は、交通事故の防止、第五は、エイズ教育です。後半の3つのテーマは避けられるかもしれない死について教えるのです。
雁瀬 子供の時からきちんと学んでおけば避けられる死にも気がつき、いのちを大切にする教育になるんですね。ただ、教師や親の世代がその教育を受けてこなかったわけですから、戸惑いもあると思いますが。
デーケン そうですね。でも、幸いなことに少しずつ学校でもこの教育に取り組み始めています。私達が主催する「死への準備教育研究会」では、年に何回か教師を中心に多くの分野の人が集まります。実際に授業に取り入れた学校もあります。
雁瀬 教育の現場に携わる方々には何を望まれていますか。
デーケン 先生自身が、しっかりした死生観をもってほしいと思います。それに基づいて、子供に押し付けるのではなく、話し合って考える刺激を与えることが必要でしょう。死について教えるのは同時に生きることの素晴らしさやいのちの尊さを自分で考えられるようにすることです。
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思いやりを安心して形にできる社会へ

雁瀬
誰かの死があった。臓器が提供された。移植した人が元気になった。その事実にばかり気をとられて、そこに隠れているものの捉え方が社会の中で成熟していないのでしょうか。
デーケン 一般社会にも教育が必要だと思いますよ。たとえば、ある講演会で移植を希望している透析中の患者が受付を担当していました。その人たちの目の前で、臓器移植反対の宗教団体の人が大声をあげています。受付にいる患者たちは、これまでも苦しんできたのに、健康な人が教義上の理由で、まだその人達を追い詰めているのです。もうひとつは、移植を受けて元気になった人の就職がなかなか難しいと聞いています。社会全体で受け入れる思いやりが必要ではないですか。
雁瀬 昨年の脳死での臓器移植でも、医療の透明性の確保とプライバシーの保護の取り扱いに社会が不慣れで、結果的にドナーのご家族に大きな負担をかけてしまい、課題を残しました。厚生省の公衆衛生審議会臓器移植専門委員会や日本臓器移植ネットワークの中央評価委員会などで実際に行われた事例について医療や手続きなどが審査されてきましたが、移植医療の推進に関わらない第三者の検証機関が必要だとされ、「脳死下での臓器提供事例に係る検証会議」が行われることになりました。先生はその委員をされていますね。
デーケン まだ、充分にディスカッションされていなかったことがあるんですね。医療関係者や市民、ドナーのご家族のためにも、よりよい価値観が生まれてくるような幅の広い取り組みをしたいですね。医療だけではなく一般社会にその価値観を発信するきっかけとなるでしょう。私は医学的なことはよくわかりませんが、臓器を提供する側と移植を行う側がきちんと分離されていて、お互いに全力を尽くす医療が実施されること、臓器を提供したいと考ていた方の脳死がしっかりと確認されることが必要だと思っています。今後は、一般の人が苦しんでいる人に対して、喜んで役に立ちたいという思いを安心して形にできる社会をつくりたいと考えています。
雁瀬 子供たちのためにも、ですね。貴重なお話をありがとうございました。
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アルフォンス・デーケン(Alfons Deeken)
1932年ドイツ生まれ。1959年来日。フォーダム大学大学院(ニューヨーク)で哲学博士の学位(Ph.D.)を取得。現在、上智大学文学部教授として「死の哲学」「人間学」「西洋倫理思想史」の講義を担当。「東京・生と死を考える会」「生と死を考える会全国協議会」会長。
1975年アメリカ文学賞(倫理部門)、1989年第3回グローバル社会福祉・医療賞、1991年全米死生学財団賞及び<わが国にはじめて「死生学」という新しい概念を定着させた>という理由で第39回菊池寛賞。1998年「死への準備教育」普及の功績によりドイツ政府から功労十字勲章。1999年第15回東京都文化賞及び第8回若月賞受賞。
著書に「死とどう向き合うか」NHKライブラリー、「ユーモアは老いと死の妙薬」講談社、「第三の人生」南窓社、「旅立ちの朝に」(曽野綾子氏共著)新潮文庫、「<叢書>死への準備教育」メヂカルフレンド社など多数。ビデオ「死とどう向き合うか」などもある。
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