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[特集]第12回世界移植者スポーツ大会 IN ハンガリー




 「移植者の人達って本当に元気なんだね。でも、移植者の人達の団結力っていうか、絆って強そうで、私はなんだかその輪の中に入っていけそうもないなぁ」
第12回世界移植者スポーツ大会(WTG)に初めて私に同行した姪の依子は、最終日に陸上競技場で行われた閉会式後にそうつぶやいた。

今年大学1年生になった彼女は、私の闘病生活をまったく知らない。彼女が生まれた1980年には、私は既に移植者で、仕事に就いてはいなかったものの、元気に日々の生活を送り、甥や姪の子守りに借り出される、文字通り“叔母さん家業”に忙しい身であった。だから彼女は私が移植者であることも普段は忘れてしまっている。

私がそんな彼女をこの大会へ誘ったのには、ちょっとした理由があった。前々から「大学に入ったら一緒に海外旅行をしようね」と約束をしていて、たまたま2年ごとのこの大会に時期が重なったこともあるのだが、私が第4回のアテネ大会以来参加を続けてきたこの大会の意義を、是非身内の一人として見て、理解して欲しい。また、それまであまり移植医療の話などしたこともなかったのだが、この春医学部へ進学した彼女なら、将来この大会で見聞したことが役に立つかもしれない。そんな気持ちもあった。

もちろん、当の彼女はハンガリーという未知の国への好奇心が優勢で、私の勝手な秘めた思いは意に介していなかったと思う。そして冒頭の彼女の素直な一言。「そうか、そういうふうに見られているのか…」私はその客観的な見方に触れ、改めて今までの大会を振り返り、その意義と移植者たちの“絆”について考えさせられた。


 移植を受けた人々が健康を取り戻し、スポーツを楽しんでいる姿を見てもらうことによって、臓器提供をしてくださった方々に感謝の気持ちを表し、さらに臓器移植医療への理解を深めることを目的に、イギリスの移植医Dr. スラッパクの呼びかけでこの大会は生まれた。そして‘78年に行なわれた、第1回ポーツマス大会の会場で配布されたドナーカードには2,500名もの署名が集まり大きな反響を呼んだと聞く。第2回大会もポーツマスで開催されたが、初めて海外(アメリカ、フランス、アイルランド)からも参加があり、この大会の意義が世界でも評価を受けたのだった。このことから他の国でも開催したいとの声があがり、第3回大会は’80年にアメリカのニューヨークで、14カ国の参加を得て開かれた。その後2年ごとに開かれることになったこの大会に、日本が初めて参加したのは、第4回アテネ大会、1982年のことだった。

 それは一人の女性の熱い思いと積極的な行動力、そして(社)腎臓移植普及会((社)日本臓器移植ネットワークの前身)の協力によって実現されたものだった。

私が移植でお世話になった、東京大学医科学研究所の木村春江さんは、移植者と関わる職業柄この大会に少なからず興味を持ち、単身で第3回ニューヨーク大会を視察し、大きな感動と夢を持ち帰った。それは日本の移植者にもこの大会の素晴らしさを伝えたい、できれば将来日本で開催し、もっと移植医療や移植者に対する温かい理解を深めていけたらという思いだった。アテネ大会には(社)腎臓移植普及会の全面的な援助を得て、私を含む6名の選手が派遣されることになった。

当時は、「臓器移植」という言葉も耳慣れないほどで、医療としてもようやく軌道に乗り始めたころではなかったろうか。ましてや移植者のスポーツ大会があることなど、医療関係者でも知らない人が多かった。それだからか、初めての選手団ということでずいぶん騒がれ、出発前にはここ島根でもマスコミ各社から取材を受ける有様だった。
 
続く第5回アムステルダム大会は、スポンサーが見つからず参加が危ぶまれたが、「日本が続けて参加することが、将来の日本大会招致につながるのだから」という木村さんの思いになんとか応えるように、その開会式の入場行進には選手3名の小さな日本選手団の姿があった。

幸運にもその後欠かさず選手を送りだすことができ回が重ねられていったが、大きな転機となったのは第7回シンガポール大会だったのかもしれない。アジアでの初の開催とあって、先を越された感があったが、アジアの近隣諸国からの参加が一挙に増え、日本からも選手が多数参加。今振り返ると、それまでのこじんまりしたこの大会の様相がここで一変したような気がする。


 一方、国内ではこの大会の参加者を中心に「日本移植者スポーツ振興会」が発足していたが、この頃から移植者の会を取りまとめようとする動きが見られ、その活動に尽力してきた大久保通方氏を会長(現在は日本移植者協議会事務局長)に、‘91年10月には「日本腎移植者協議会」が設立。2年後には現在の「日本移植者協議会」に名称を改め、この大会への参加継続と日本への大会招致に向けて大きな原動力となっていった。

‘93年の第9回バンクーバー大会では、4年後の日本開催招致に照準をあわせて選手31名を送りこみ、日本大会のプロモーションも兼ねた「JAPAN DAY」を企画し、皆で七夕祭りをメインに日本文化の紹介をしたりしたが、私自身も“その時”のためにと、ボランティアの学生にインタビューしたり、バスの手配状況や食事のチェックをするなど、選手としてだけではない視点を加えてこの大会に接した。また、この期間中に世界移植者スポーツ大会連盟評議委員(WTGF)の会議で、木村さんが初めて日本の評議員として選ばれたことも、その後の移植者たちの活動に大きな弾みをつけた。

‘94年8月。京都で開催された国際移植学会に併せて企画された“ビバ・トランスプランテーション”はその直前の5月に’97年の日本招致が見送られたため、初期の目的のプロモーションとはならなかったが、初めて移植医療の素晴らしさを移植者たちが自ら伝え、移植者を支える人たちとも手をとりあって、それまでとは違った活動の広がりを見せ、自信にもつながった。

さて、一度は諦めた日本大会だったが、その後私たちの願いは決して忘れられたわけではなかった。第11回シドニー大会のWTGF会議の席上で、日本大会のプレゼンテーションが許されてから2年。その間、開催地の変更を余儀なくされたりいくつかの問題があったようだが、日本移植者協議会の大久保さんを中心に、関係者のご尽力で日本大会の構想が現実味をおびてきた。そして正式に2001年開催が決定したのは‘98年の5月、神戸が開催地と発表されたのは’99年7月のことだった。

ブダペスト大会の閉会式では大会旗が次期開催国の代表に手渡されるが、今年から木村さんに代わってチームマネジャーを務めた大久保さんのご配慮で、選手全員駆け寄って一緒に大会旗を受け取ることができた。大会旗が大会実行委員長の手から木村さんの手に渡りそれが高々と掲げ上げられた時、「あぁ、とうとうここまで辿りつけた」いろいろな思いが入り混じった中で、木村さんの夢に乗っかって参加し続けたWTGのひとつの時代が、私の中で幕を閉じた。


 第12回ブダペスト大会。私にとっては第8回に続く再訪の地で、改めて月日の流れたのを感じた。‘82年のアテネ大会に初めて参加してからもう17年、9回目の参加になる。初参加のときの感動や出会いと共感は、人生観が変わるほど強烈で一言では言い尽くせない。そして移植者にとっては、2年間という月日の重みを考えるとこの大会での再会の喜びも特別な意味がある。でもだからといってここまで続けて参加する、いや「できる」とは思いもしなかった。健康であること、経済的なこと、周囲の人達の理解があること等々、あらゆることに恵まれていなければ参加はできない。

しかし、それとは別に他にも何かあるような気がしてならない。それは依子が言った“絆”というものかもしれない。閉会式の最後、競技場いっぱいに選手たちが手をつなぎ大きな輪をつくる。依子が「入っていけそうもない」と感じたその輪の中で、私は確かに癒されていくのを感じる。いっせいに輪の中心に向かって走り輪がはじけた時、誰彼となく抱き合い2年後の再会を誓い合う。たったそれだけのことを“絆”というのもおかしなことだが、その“絆”を感じることがなければここまで参加できなかったかもしれない。そして2001年の神戸大会へ向けて求められているものこそ、この“絆”を支えにした日本の移植者たちの参画だと思う。

正直なところ、回を重ねていくごとにこの大会で味わう感動、共感は当然のこととはいえ薄らいでいった私だが、今回は同伴した依子の何気ない一言一言で、WTGを違った側面からも見ることができた。

「これだけの移植者の人達と一緒にいると、日本で脳死移植の問題があれだけ騒がれるのがなんだかおかしく思えるね」と言った依子のもうひとつの言葉。彼女も何かを感じてくれたらしいこのWTGに、私も新たな姿勢で向きあっていきたいと思っている。
(表)WTG(夏季大会)
回数 年次 開催地 参加国数 参加者数 日本選手数
1 1978 イギリス(ポーツマス) 1 0
2 1979 イギリス(ポーツマス) 4 200 0
3 1980 アメリカ(ニューヨーク) 14 0
4 1982 ギリシャ(アテネ) 18 250 6
5 1984 オランダ(アムステルダム) 21 300 3
6 1987 オーストラリア(インスブルック) 23 400 9
7 1989 シンガポール(シンガポール) 34 800 21
8 1991 ハンガリー(ブダペスト) 32 900 24
9 1993 カナダ(バンクーバー) 32 1000 31
10 1995 イギリス(マンチェスター) 35 900 26
11 1997 オーストラリア(シドニー) 53 1200 27
12 1999 ハンガリー(ブダペスト) 44 700 20
*参加者数は付添い者を含む場合もあります。
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第12回世界移植者スポーツ大会INハンガリー
世界移植者スポーツ大会同行ルポ
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