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ありがとう命の贈り物
雁瀬 お元気そうですね。オーストラリアに入ってからの体調はいかがですか。
中島 天気はいいし、空気も澄んでいて気持ちいいですよ。宿舎が遠いのと、出場時間がはっきりしないので朝から出番を待ち続けるのが少し辛いかな。あと、大会側が用意してくれるランチがいつも同じサンドウィッチなのがね・・・。体調はばっちりですよ。なにしろ3年後のオリンピック会場で泳げるだけでも記念になるし、本当に嬉しいわ。
雁瀬 中島さんに初めてお会いしたのは、私が第一製薬に入社した時ですからもう14年も前になりますね。その頃顔色がすごく悪くて辛そうだったし、週に2回は午後にいなくなっちゃうし、新入社員の私でさえヘトヘトになる会社勤務を、懸命にこなしている中島さんの姿は痛々しく感じていました。今は顔色もいいし、表情もとても明るくて、とにかく元気そう。
中島 本当に元気になりました。移植後11年目を迎えたけれど拒絶反応も無く、検査値も良好、透析も一度もしなくて済んでいます。移植後は、みかけが健常者と変わらないので、知らない人がみたら私が腎臓の移植手術を受けたことは全くわからないでしょう。
雁瀬 何が一番変わったと思われますか。
中島 顔色や体力はもちろんだけど、何事にも積極的になりました。物事を前向きに考えるようになったことが一番の変化です。何かあっても命まで取られるわけじゃないと居直ることもできるようになりました。こうやって海外旅行にも行けるようになったし・・・。人から頂いた大切な命だし、明るく元気に楽しくドナーの分も生きなくてはと、いつも心の中で感謝しています。これも知らない人にはわからないですよね。今回エントリーしている水泳も5年前から始めて、今では2000mも泳げるようになりました。とても充実した毎日ですよ。
雁瀬 腎臓が悪いと気付かれたのはいつですか。  
中島 20代の頃から尿蛋白が陽性でしたが、あまり気にしていませんでした。ところが、30歳半ばを過ぎた頃に、腰痛や貧血に加えて高血圧のために物がまっすぐ見えなくなり、あわてて病院に行きましたが既に遅く、その後1年半で透析導入になってしまいました。
雁瀬 透析と社会生活の両立は大変だったでしょう。
中島 透析は1回4〜5時間、週3回でした。週に2回は会社を早退しなくてはいけなかったので、周りに迷惑をかけていると思いましたが、できるかぎり頑張るしかないと言い聞かせていました。それと、食事制限、特に水分制限は辛かったですね。会社で友人と食事を楽しむことができなくなりましたから。
雁瀬 透析をしていた頃の体調はいかがでしたか。
中島 貧血がひどかったですね。透析を始めて3、4年目には輸血をしても1ヶ月もたない状態で、階段も昇れないし、急いで歩くこともできませんでした。透析をしている時も脈拍が速くなって、いつも駆け足をしているような感じで、腎臓よりも心臓がいつまでもつか心配でしたね。でも、その頃は透析をしないと死ぬと思っていましたから、それほど大変だと感じていなくて、むしろ移植をしてからのほうが透析の大変さがよくわかります。
雁瀬 移植を希望しようと思ったきっかけは何ですか。随分迷われたんじゃないですか。
中島 移植しか治る方法がない病気だと聞いたので、申し込みはしましたが、正直言って90%ドナーが出るとは思っていなかったのであまり深刻に考えていませんでした。
雁瀬 ところが突然、勤務中に知らせがあったわけですね。あの日のことは私もはっきり覚えています。皆、何が起きようとしているのか良くわからなくて、ボー然として中島さんを見送りました。
中島 あまり突然だったので仕事の心配や恐怖心があり、上司や母に相談しましたが結局すぐに自分自身で移植を受けることを決意しました。会社から病院へ直行したときはかなりの興奮状態で、血圧が200まで上がってました。でも先生の「絶対に大丈夫だからすべて任せなさい」の一言でとても気が楽になって、この先生ならきっとうまくいくと確信したんです。あとはまさに“まな板の上の鯉”。手術室で麻酔をかけられた瞬間“ボン!”という感じでわからなくなっちゃった。
雁瀬 術後はどんな感じでしたか。  
中島 気が付いた時は、頭の中でジャズがガンガン鳴っているような気がしました。先生が「順調に尿が出ているよ」ととても嬉しそうに言ってくれる姿や、今までどす黒かった肌がみるみる白くなっていくのがわかったし、なんと言っても食事がとても美味しかったわね。
雁瀬 術後1週間目にみんなでお見舞いに行ったら、ベッドの上にピンク色の顔をした中島さんが起き上がっていて本当にびっくりしました。“すごい!”って。
中島 その後は、尿の出方が安定しなくて気になっていたんだけれど、だんだんからだのリズムがわかってきて自信が持てるようになってきました。検査の結果がいつも良くて先生も嬉しそうだった。
雁瀬 本当に順調だったんですね。
中島 手術から約5週間で退院して、それから2週間で会社に出ちゃった。その頃の社会復帰としては一番早い記録だったから、先生もとても心配していたけれど、私は透析をしていた時よりずーっと楽なんだから、働いても大丈夫だと思ってたわ。事実、その後一度も入院しないで済んでいます。
雁瀬 今では、同僚の方もうらやむほどの元気さですよね。
中島 今、仕事・旅行・食事・趣味(お花)と自由に何でもできるのは、素晴らしい腎臓を提供してくださったドナー、病院の先生、会社の上司・同僚、お花の先生、友達、そして家族のお蔭だと感謝しています。よく、“自分は生かされている”という言葉を聞きますが、まさに私こそはその通りだと思っています。
雁瀬 ますます元気で輝いていてくださいね。

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