当たり前の暮らしがこんなにありがたく幸せなことだったのかと実感しています。

 周りの人たちと変わらない平穏な毎日を過ごしていた私が病に見舞われたのは小学校入学して間も無くの頃でした。近所の医院で診てもらいましたが、気管支炎からの微熱が半年経っても治らず、市内の小児専門病院で改めて検査を受けました。子どもだったので親とお医者さんの会話はよく分かりませんでしたが、「もっと早く来ていれば」「こんなに悪くならなかった」というフレーズだけは覚えています。そのときの診断は、「ネフローゼ症候群」でした。その後、隣町の大学病院に暫く通っていました。検査のためとはいえ毎回大量の採血は怖かったのを記憶しています。小学2年生になると通院回数も減りタンパク尿も血液データも正常値になり通院もしなくなりました。その後、中学3年生まで学校の尿検査にも引っかからず友達と同じように運動部に所属するなど楽しい学校生活を過ごしました。

 高校入学直後の尿検査で再検査と言われ、近所の医院で診てもらうとその場で大学病院へ連絡してくださり、数日後に受診。成長期によくある一過性の腎炎かもしれないと言われ安心していましたが、結果は期待していたものではありませんでした。急性糸球体腎炎から徐々に腎機能の数値が落ち、高2の夏、定期受診のときに主治医の先生から「治してあげられなくてごめんね」と言われ、診察室で涙が止まらなかったのを昨日のことのように覚えています。そして高校3年生の進路で悩んでいると主治医の先生から「病気と一生付き合っていかなくてはいけない。腎臓病は食事管理が大切だから栄養士の学校へ行ってみては?」と勧められ、栄養士養成の短大へ進学しました。短大で学んだことは私の一生の宝となっています。

 ある日、主治医の先生より母からの生体腎移植という方法もあると話がありました。人工透析に入る前に移植ができれば、その後の生活は今までと同様に続けられるかもしれないと説明を受けました。しかし、私と適合しないことが分かり、生体腎移植は叶いませんでした。当時は移植をすれば皆と同じ、今までと同じでいられると思っていただけに自分の将来に対し少し諦めはじめました。そのときのことを振り返ると自分勝手な考えだったと思います。そして、短大卒業後、20歳の初夏、シャントを作り人工透析導入となりました。

 初めての透析は穿刺への恐怖、未来に対しての不安でいっぱいでした。2時間と短い時間でしたがとてもとても長く感じました。導入最初の1年は穿刺の度に青あざができ、毎回迎えの車の中で泣いていました。

 それから透析にも少しだけ慣れてきた2年目。友人たちは社会人として仕事をしている中、体調が優れない私は社会の役に立てていないと感じるようになりました。家族と過ごしていても友人たちと会っていても勝手に孤独を感じてしまい、うつ状態に近かったと思います。そんな中で唯一の救いが、病気や透析のことを誰にも知らせていないイベント関係の仕事でした。仕事中だけは透析前の自分に戻れる場所でした。また、かけがえのない仲間とも出会えました。友人の紹介で結婚もできました。腎移植については諦めていたのと透析にも慣れてきた頃だったので移植の希望登録には興味がなかったのですが、夫の勧めもあり結婚を機に希望登録をしました。

 移植希望登録をしたときに「いつ移植の連絡があっても大丈夫なように準備をしておいてください」と言われ当初は気をつけていましたが、待機年数が増すごとに移植だけのことを考えて毎日を過ごすことは難しく、現実味を帯びない移植への意識は正直薄らいでいました。

 しかし、透析歴26年目、待機年数22年目になったある日、朝7時頃に一本の電話がありました。

 「移植の第一候補です」登録している病院の先生からでした。過去に2回、ご連絡をいただきましたが、仕事や父の介護などでタイミングが合わず受けることができませんでした。暫く受話器を持ったまま考え、「受けます。お願いします」と電話を切った後、身の回りの準備をして病院へ向かいました。

 朝の一本の電話から大きく人生が動き始め、不安と恐怖と希望とそして申し訳なさと…色々な感情の中、移植前夜に最後の透析をしました。透析室の看護師さんは異変を感じたのか、一緒に悩み考え、共に泣いてくれたこと、寄り添ってくださったことは本当に安心し嬉しかったです。

 翌日の手術当日は朝一番での手術でした。どこか夢のような思いで手術室に入りました。7時間ほどの手術は無事に終わり、その日はICUへ。翌日は病棟の個室に移動しました。術後の痛みやむくみの苦しさはありましたが、少しずつ直ぐに尿も出ていて徐々にむくみ等も軽減されていきました。管を取ってからトイレでおしっこしたときの感動と喜びは忘れられません。22年間使われていなかった膀胱の容量はおちょこ1杯分ほどで、5〜10分おきにトイレに行っていたためきちんと睡眠を取ることが難しかったですが、それも喜びでした。日が経つにつれて50ml,100ml,200mlと溜められるようになり、トイレへ行く回数も落ち着いてきました。

 移植後大きなトラブルもなく、今まで以上に自己管理に気をつけて仕事に趣味にと充実した日々を過ごしています。当たり前の暮らしがこんなにありがたく幸せなことだったのかと実感しています。

 ドナーの方の優しいお気持ち、そして大切な人と別れの悲哀の中、大きな決断をされたご家族の方の無償の愛情、命を繋いでくださったことへの感謝の気持ちは言葉では伝えきれないです。このご恩は生涯忘れません。ありがとうございます。

 退院後3カ月で社会復帰もできました。今までの経験を少しでも活かし、微力ですが社会のお役に立てるよう生きていきます。本当にありがとうございました。そして、これからもドナーの方と一緒に頑張ります。

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