私は信じたい。この先にある光の存在を。

光を信じて待つ

「余命1年やったね。でも、まだやることあるやろ?まだまだ生きないとね」


その言葉を聞いた瞬間、抑えきれなくなった想いがドッと大粒の涙になって溢れ出た。完治することのない拡張型心筋症を発症して6年間。苦しかった日々を思い出す。少しずつ忍び寄ってくる命の期限を思いながら、食べること、動くこと、眠ること、息をすることすらもやっとで、段々生きる希望は薄れ、暗闇へ向かっていることを自覚する日々。
発症当時、下の子は小学1年生、上の子が6年生。まだまだ育ち盛りの子供たちにやりたいこと、やらないといけないことは山のようにあったし、何よりも子供たちの輝かしい未来を見届けたかった。けれど、予後の悪いこの病。体調不良になることが増え、入退院を繰り返すこととなる。段々思うようにならない体へのふがいなさが怒りと悔しさになり、目の前が何度も涙で滲んだ。
発症して6年目の夏、とうとう仕事も家事もドクターストップがかかった。「思っておられるよりかなり深刻な状態です」と家族は告げられた。子供たちは、高校3年生と中学1年生になっていた。2人の子供たちに、母として伝えたい思いをしたため、持ち物の整理を始め…少しずつ命の最期を迎える準備を始めたのは夏が過ぎた秋の頃だった。
12月。自宅で開いていた教室のクリスマス会を友人に助けてもらいながらどうにか終えてすぐ、玄関に用意しておいた入院バッグを持って救急へかけこむ。もう限界だった。「先生、もう無理です」大概は、入院すれば回復するのに、この時の入院では回復の兆しはなかった。クリスマスが過ぎて、年も越して、新しい年になっても、それは変わらなかった。利尿剤も強心剤も効かない。この先に特効薬があるわけもなく、これがダメだということはそういうことだ。覚悟はしていた。

そんな私に届けられた光。
ことの始まりは、ある朝、師長さんに「今から大学病院へ転院よ。救急車が迎えに来るから荷物をまとめましょう」と言われ、何のことだかさっぱりわからなかったが、急だということだけは察知した。慌てて、息子が大学入試の時に着用するTシャツのゼッケンの縫い付けを仕上げた。その横で、師長さんが荷物をトランクに詰めてくださった。間もなく救急隊の到着。そして、転院した大学病院で告げられた治療法は心臓移植と待機する数年間を過ごすための補助人工心臓VAD*の植え込みであった。 まさかのまさか、頭からありえないと思っていた心臓移植の話に驚きは隠せなかった。
大学病院に転院して10日後、補助人工心臓を植え込む手術を受け私は国内心臓移植待機者となったわけである。へその横から、心臓に植え込んだモーターに繋がるケーブルが出て、VADのバッテリーとコントローラーが24時間途切れなく繋がっている生活が始まった。
手術から退院まで約2か月余り。起き上がる、立ち上がる、歩く、ひとつひとつがリハビリであったが あんなにひどかった息切れがなくなった。眠れたし、お腹も空いて、食事もできた。VADを着けての新しい生活は、24時間介助者と過ごすことが義務付けられている。よって、私は家族のもとを離れて、両親と実家で暮らすことになった。
あれから丸4年が過ぎ、待機期間も5年目に突入した。何もなかったわけではない。血栓や感染症のリスクを日々抱えて過ごしているわけで、不安は大きく、なくなることはない。明日、目覚められるように、そう祈って眠りにつき目覚めて朝が迎えられたことに胸をなでおろす。なぜなら、脅しのリスクではなくて、日常的にかなりの確率で発症する本気のリスク。
順調だった友が、ある日突然、血栓が飛び、脳梗塞で後遺症を持つようになった。VADを着けていたのにもかかわらず、自室で亡くなっていた友、入退院しながら長く待っていたのに力尽きて多臓器不全で亡くなった友。もう長く病院から出られない仲間たちもいる。私自身も、回転性めまいで何度か倒れ、不正出血で毎週末輸血を受け、ケーブル出口の感染症で2度切開手術を経験した。前例がないということで、VADを着けたことによって解雇となり無職になった人もいる。社会から疎外されたような思いだったり、移植が終わったら復帰できるのだろうかという心配だったり、長い待機期間、体だけでなく、心の状態を保つことも非常に難しい。そこを支える介助者の負担も大きく、持久力が求められる。
移植待機期間は出口の見えないトンネルの中にいるようなものである。当初は3~5年といわれた待機期間も今や、5~7年といわれるまでに。真っ暗なトンネルの中は、時にはその向かうべき方向すら見失ってしまいそうになる。
けれど、私は信じたい。この先にある光の存在を。グリーンリボンの存在は、移植を待つ私たちにとってただひとつの光。これがたったひとつの希望。
移植が終わったら、すべてがもとに戻るわけではない。そこから、また戦いの日々は始まる。けれど、私に生きて!とつないでくれた尊いドナーの命に励まされてきっと乗り越えてみせる。そして、心からドナーに感謝して、日々を生きよう。
移植までもうしばらく、命と向き合ったこの経験を無駄にしないよう、私に何ができるのか考えながら、過ごそうと思う。

*Ventricular assist deviceの略称です。

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