ガンバッテイキマッショイ!

母親より

お手紙、心にしみました。何と感激のドラマでしょう。お手紙を受け取った日は、二男の命日の2日前、墓参りから帰った時でした。
中1という多感な「さあ羽ばたこう」という時からの長く苦しい日々が、移植によって魔法のように蘇ったと知ることができました。私は息子を「よくやった!」と褒めてやり、感激の涙にしばし浸りました。

お父様が書かれていた「娘は、幼いころから明るく素直で、常に笑顔の絶えない人気者」というのは、まさに息子がその男版と言えましょう。亡くなった息子は二男で、2才上の兄を慕っていました。クルクルした丸い大きな目で遊びの天才と言えるほどかけ回り、幼児期から始めた水泳は高校3年生まで選手として活躍していました。元気過ぎてけがも絶えない子でした。友だちの多さでは誰にも負けないほどでしたが、亡くなってから知った友だちや仲間の多さは私の想像を越えておりました。


2度目の脳出血で医師から「脳死とされうる状態」と告げられ、「臓器提供」という言葉を聞いた時、せめて体の部分でも生かせてもらえるのなら、と嘆願したのです。息子は臓器提供意思表示カードにも運転免許証にも意思の記入はしておりませんでした。誰も脳死になるなんて思いもしませんから、でもきっと本人も提供したいと言ったはずです。生かしてやっていただいて、本当に嬉しいです。有り難く思っております。
 
二男はいつも兄と同じことをやりたがっており、高校も大学も同じでした。そのため兄と共通の仲間が多く、今では兄が皆を集めて、二男の会を作ってくれたりしています。昨年の3回忌には共通の友だち10名ほどを2度集めて、私も一緒に飲み会とカラオケへ同行しました。二男の笑い話に花を咲かせ、皆で私を気づかってくれています。今回も7名が集まり、命日も明るいものとなりました。そこでいただいたお手紙を皆に読んでもらったところ、それぞれ深く感じ入ったようで、「オイ、オマエは英雄だ!しっかりやれ!」と乾杯となりました。
長男も二男も大学は東京で地元を離れていました。大学では一緒にラグビーのサークルに入り、中心メンバーとして活動していました。二男は大学院を出て自分で事務所を開いて経営コンサルタントをしておりました。結婚はしておりませんでした。ですから、もう地元に帰ってきたような気がしております。
 
まだまだ若いあなた様は、元気でさえあればこの先良い人生をいくらでも築いていけます。苦しい時があったらこそ、一層生きる価値や喜びを大切にできると思います。

私も応援団の1人に加わらせていただきます。

息子達の高校では「ガンバッテイキマッショイ!」とかけ声をかけ合っています。ボート部のかけ声です。以前卒業生が小説を書き、文学賞を取って、映画までできました。息子の葬儀で送り出す時、兄と同級生が大声で「ガンバッテイキマッショイ!」と車を送り出しました。
どうか「・・・・・・・・・・・!」で元気に生きてください。
お父様お母様も、それまでのご苦労や苦しみを越えることができて何よりでした。私も親としてお気持ちが分かり、ほっとしております。私は生きていた息子から、むしろ力強い、幸せをもらいました。
今ではいつも背中に息子の応援を聞いて、以前より仕事に、いくつもの活動に、勢を出しております。
できればまた、お知らせなどいただけましたらうれしいです。
皆様、お元気にお過ごしください。

                               かしこ

ドナーファミリーへ送られた、移植者とそのご家族からの手紙はthink transplant Vol.36でお読みいただけます。

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