渡航移植の苦悩

   小児救急を専門として日々働いている中で、ある一人の女児に出会いました。その子は、赤ちゃんの頃から難しい心臓の病気にかかり、心臓移植以外に助かる道はないと言われてきました。同年代の子どもたちが普通にやっているかけっこや好きなものを好きなだけ食べるということが一切できませんでした。運動制限、食事制限が課されていたわけです。当時はまだ、国内で小さな子どもからの臓器提供ができなかったことから、助かるためには海外渡航による心臓移植という選択肢しかありませんでした。しかし、家族は「他国の誰かの臓器をもらってまで…」と考えられ、渡航移植には何年間もずっと反対でした。
   そんなある日、調子を悪くして入院していたその子が、検査中に突然心停止を起こしました。懸命の蘇生により、なんとか心臓は再び動き出しましたが、予断の許せない状態が続いていました。幾度となく訪れる危機を乗り越えて、なんとか目を覚ますことができました。
   そんな経過をとおして、家族から渡航移植を希望する意思表示がありました。「この子がこんなに頑張っているのだから、もう私の考えなどどうでもよい。この子を助けたい。」助かる術があるから、それを選ぶ。当然の行為ですが、そこに至るまでにどれだけの葛藤があるのか、その立場に立った家族にしか分からない苦悩があるように感じます。
   その子は、数か月後に米国で脳死下臓器提供を受けて心臓移植に成功し、自らの足で歩いて、元気に日本に帰ってきました。移植医療の凄さを目の当たりにし、奇跡を感じていました。
   しかし、ただ喜ぶだけでよいのかという疑問も感じていました。心臓移植という医療は、別の子どもの死がその裏側に必ずあるからです。ドナーの家族やその子自身の思いは、一体どうなのか。その時の私にはまだ分かっていないことが多かったように思います。
   そして、そこから何年か経ち、今度は国内で子どもの臓器提供に携わることになりました

子どもの臓器提供

   ある日、われわれの病院に突然の事故により意識不明となった幼児が運ばれてきました。その子は頭に酸素がうまく運ばれず中枢神経に大きなダメージを負っていました。昼夜関係なく、懸命の治療を続けました。しかし、入院してしばらく経ったところで、その子の状態を確認すべく検査を行うと、本来あるはずの反応が全く認められませんでした。脳のダメージの大きさを如実に表していました。家族にその事実を伝えると、ほどなくして「臓器提供」の希望を申し出られました。それがどういうことなのか、自分たちも一緒に確認するかのように家族と話し合いました。家族の気持ちは固まっていました。以前より家族の間で、人の命についての会話があったそうです。この厳しい状況でそのような決断ができることの要因はそこなのだと感じました。かわいい盛りのわが子を失うという事実を受け止め、次の命へ思いを託す。この家族は確固たる思いで決断されていました。
   厳しい手続きを進め、いよいよ臓器提供の日。家族とともに手術室へ送り出しました。「いってらっしゃい」という家族の言葉が今も心に残っています。
提供を終えて帰ってきたわが子に対して、頭をなでて、抱き寄せ褒めてあげていました。その子の臓器は、新たに3人の体の一部となって今も生き続けています。
   そして、そこから数年が経ったある日、コーディネーターとともに自宅を訪問した際、その家族は元気な姿を私に見せてくれました。あの時と何も変わらずわが子を慈しみ、誇りに思っているように私は感じました。

家族の思い

   子どもの命を考える場面で家族はいつも悩み苦しんでいます。提供してほしいという立場と提供したいという立場は相対するものに思えますが、その思いは全く一緒です。誰もが子どもの幸せを願って、悩み考えて結論を出しているのです。
   本当は、子どもの難病や脳死が存在しなければよいのですが、小児救急をどれだけ頑張っても残念ながらまだまだ医療現場から無くなることはありません。その事実にまず目を向けて、この問題を当事者のみに苦悩させず、みんなで考えていくことが必要です。
   結論をすぐに出す必要はありません。知らないことがあっても恥ずかしいことではありません。当事者しか分からないこともたくさんあるはずです。しかし、一度でいいから考えてみてください。子どもの命、子どもの脳死、子どもの臓器提供と海外渡航移植。自分ならばどう考えるか。立場が違えば、考え方も違って当然です。だからこそお互いの立場の違いをしっかり理解し、相互に思いやり、考え方や行動を否定するのではなく尊重することが大事なのです。
   米国で心臓移植を受けた女の子は今も時々病院に来てくれています。当時の面影はほとんどなくなり、大きく元気に成長しています。その子の心臓は、他国の子どもの心臓です。

その子に聴診器をあて、ドクンドクンという心音を聞くたびに、私はこの国の子どもの命のあり方に思いを馳せています。

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