このまま逝ってしまうのはあまりに無念

妻からの『ラスト・ミッション』

正午過ぎ、私の父から事故の電話。「ママが交通事故を起こして病院に運ばれた。すぐ行ってやって。」ICUに駆けつけると、ベッドに横たわっているが治療行為は施されていない。脳内スキャンを見せられ事態の重篤さを知る。車を運転中にくも膜下出血を発症し電柱に衝突。「脳幹部の出血で救命は困難。もって数時間から2日以内」との厳しい宣告。
後悔の念が一気に溢れ出る。結婚して32年間、メディアに勤める私と体育教師の妻とはすれ違いが多く、旅行など共に楽しむ時間は少なかった。互いの両親の世話で家事の負担も大きかった。夫として十分なケアができていなかったと反省ばかりが頭をよぎる。
「このまま逝ってしまうのは、あまりに無念…」。無言の妻の頭を撫ぜながら、「私がしてやれる最善の行為は何だろう」と自問する。交通事故とはなったが体は無傷だった。その姿を眺めていると、妻から「あとは任せたから。臓器提供を実現してね」と問いかけられている気がした。「そうだ。全国に待ち続けている方々の助けになる。子供たちにもママの肉体の一部がこの世に生きていると言える」。妻からの『ラスト・ミッション』のように感じた。

合意の難しさ。3日かけ納得。

全家族が集まった夕方、「脳死での提供」を相談する。妻は臓器提供に永年理解を示し自ら意思表示をしていた。子供たちは「望んでいたことをしてあげるのが一番」と全員了解。一方、私の両親は「こんな大変な事態にその話題がすぐに出るとは」と不快感を示す。妻の親は「絶対に嫌。私より早く死ぬだけでも辛く悲しいのに、これ以上体を傷つけ臓器を取り出すなんて」と不承諾。早すぎる提案に加え、世代間ギャップや死生観の違いは大きかった。
それでも私と子供たちの意志は固く、着々と提供への階段をのぼって行った。「早くて数時間の命」と言われたことも背中を押した。決断した以上、より多くの方に受け取ってもらいたい。心臓死なら2臓器だけだが脳死では7臓器が提供できる。
義母が納得するのに3日間かかった。説得役を務めたのは、警察官をしていた妻の従兄だった。職業柄、多くの死に遭遇していた。「死は必ず訪れる。少しでも肉体を生かせるならその可能性を生かすべきだ」と。身近な親族の助言は大きく義母の心を解かしてくれた。

5人の方々の中で生かされている

体育教師の妻は陸上で国体に出場したほか、県スポーツ保健課で指導主事などを歴任。運動能力の高い生徒の育成はもちろん、「病気がちや運動が苦手な子にも体育の楽しさを知ってもらう」のだと全国で仲間を広げ、教科書改訂や実践授業の確立などに関わってきた。弱者を包み込む視点は日常から変わらず、10年前から「臓器提供の意思表示」をしていた。
今回、医療機関や多くの関係者の支えもあり、全国5人の患者さんに受け取ってもらった。移植コーディネーターからは、「皆さんがかつての日常を取り戻している」と嬉しい報告をいただいている。葬儀の際にも挨拶の中で臓器提供したことを告知。「彼女らしい最期。私も(提供を)真剣に考えたい」と反響を呼んだ。
後日、肺を移植した方から「娘の幼稚園行事にも参加できるようになった」とのお手紙をいただき、『家族の宝物』になっている。今でも妻は私たち遺された者の心の中に、強い印象を伴い存在している。

輪をもっと広げよう

いまだに日本の臓器移植は進んでいないと残念に思う。1万3千人以上の待機者がおり、患者さんには時間が無い。年賀欠礼などで数百人に事実を伝えたのも、妻の遺志と家族の意志を表明したかったからだ。どんな行為にも光と影はある。それを恐れていては前進はない。
理解と納得を得られる環境を創るためには、生命・倫理教育や事実に基づく情報開示。さらには医療関係者の真摯な活動、それらを後押しするメディアなどが力を合わせる必要がある。そして家族・友人間で話題にできる環境づくりが求められる。
この間、私も出来る限りドナー家族として集いや医療関係者の講習会に出て発言もしている。妻から与えられた移植推進の使命は、私のライフワークの一つとなりつつある。微力ではあるが理解と協力を広げる活動を応援したいと思っている。

---担当医師の手記--- 『臓器提供~患者の思いを感じ、実現すること』

「家族が脳死下臓器提供を希望しています」と担当ナースから私に電話があったのは、午後の診療に戻って間もなくでした。「脳死」「臓器提供」という日常業務では聞き慣れない言葉と、救命困難を家族に宣告して1時間ほどもしないタイミングに少し戸惑いました。不思議な胸の高鳴りを感じつつ、「至急、家族の総意を確認しなければ」と早々に診療を終えたことを記憶しています。
患者のご主人、ご長男とお会いし、「脳死下臓器提供」の意思が揺るぎないことをすぐに理解しました。患者は自身の健康保険証に脳死下臓器提供の意思表示をされ、そのことについて普段からご家族と良く議論されていただけでなく、自身が情熱を注ぐスポーツ振興を通じて熱心に啓発活動もされていたことを知りました。
「不幸にして回復の見込みがなくなった患者の、最期にして最大の望みをいかに叶えるか」「患者の希望が叶うなら、せめても家族の慰めになるのではないか」「不幸な現実に救いを見いだしていただけるのではないか」私は脳死下臓器提供が実現した暁を、そのようにイメージしていました。
我々スタッフは予想に反して、患者家族に「脳死」を受容していただくことではなく、「いかに脳死下での臓器提供を実現させるか」ということからスタートすることになりました。
臓器提供のプロセスが進行する間にも、患者家族内で意見の相違、葛藤があると聞いていました。我々は「脳死とされうる状態」の判断を、慎重に計3回行いました。これは疑念の残る事項について、外部の専門家に助言を仰いだこともありますが、時間をかけることで判断に慎重を期すことと、ご家族内で意見が集約されることも期待していました。
脳死下臓器提供は無事成功し、肺、膵臓、両腎、角膜の4臓器が、計5人に無事移植されました。それでもしばらく私は、「ご家族の揺るぎない思い」を心配せざるを得ませんでした。何故なら、実際の臓器提供は、まだ患者の身体が温かいうちに、脳死判定から臓器摘出まで一気に事態が進行したからです。
しかし提供数日後、ご主人が病院にご挨拶に来られた時、抱えていた美しい花束と晴れやかな笑顔、感謝に溢れた言葉と振る舞いに、不安は一気に吹き飛びました。「やって良かった…」と。
後にいただいた報告でも、レシピエントの経過が良いと聞いて安堵しています。今は「何とか患者とそのご家族の崇高な思いに報いることが出来たかな」と充実した思いでいます。

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