普通の生活を送れることがどれだけ幸せかということを一日一日実感し生活しています。

腎臓病から人工透析に

 2011年の3.11東日本大震災が発生した同年春に献腎移植を受ける機会をいただき、長年の透析治療から離脱することが出来ました。最初に腎臓病が見つかったのは1973年16歳の時です。高校の健康診断で蛋白尿が見つかり腎臓病であることがわかりました。最初の頃は腎臓病のことが何もわからず、病気に関するいろいろな情報を得ていく中で、家族も含めかなり混乱したことを記憶しています。検査をしていく中で慢性糸球体腎炎と診断がつくまでにさほど時間がかかることはなく、数年後には人工透析が必要と医師から説明を受けました。その後大学に進学すると、腎臓の機能もかなり低下し、日ごとに疲れやすくなり、家で横になることが増え、人工透析へ一歩一歩近づいていることを実感しました。「なんで自分だけがこんな病気になったのだろう」「悪い夢でも見ているのではないか」と思いながらも、現実から逃げられないつらさが今も記憶に残っています。
 そのような経過を経て、1979年の春、大学4年の時に透析を導入し、献腎移植を受けるまでの31年1ヵ月の長い透析生活が始まりました。当時の透析技術は、現在とは異なり厳しい環境の中で治療を受けました。多くの患者は皮膚の色が黒く一見するだけで健常者とは異なり、人工透析を行なっても、体内の毒素や余分な水が充分除去できないことや、透析中に急激に血圧が下がってショックを起こすなど透析のたびに苦労しました。また、エリスロポエチン製剤(貧血を改善する薬剤)も無く、今では、考えられない強い貧血の中で生活をしていました。鼻出血や少し歩くと息切れがしたり、夏などは周りの風景が急に白黒に見えたりし、当時は「透析をすることが辛い・苦痛なこと」と思っていました。

将来への不安と移植への期待

 卒業後は、夜間透析をしながら仕事にも就きました。体調を崩して休むこともなく順調に経過していきましたが、透析生活も20年が過ぎ、30年近くなると長期透析による合併症が徐々に出てきました。手根管症候群、脊柱管狭窄症、頚椎狭窄症などの症状が出てきて、手足のしびれや100メートルも歩くと足が痛くなり歩けなくなるなど、日常生活での行動の範囲が大きく制限されるようになり、朝夕の通勤も厳しい状況になってきました。2010年の春には頚椎狭窄症の手術も受けました。術後は、車椅子でしたがリハビリを受け、杖をついて歩けるまでに症状は改善しました。しかし、透析治療を続けている限りは、再発の心配からは逃れられない状況が続きました。このまま仕事は続けられるのか?将来、寝たきりになるのではないか、将来への不安が何よりも一番辛く感じました。
 献腎移植の登録をしたのが、1984年頃のように記憶しています。当時は、まだ、日本臓器移植ネットワークがなく、国立佐倉病院(当時)を受診し、献腎移植登録を行ないました。
献腎移植の連絡は、今までに3回いただきました。1回目、2回目は、最終的に献腎移植が叶わず、2011年の春に3回目で献腎移植を受けることが出来ました。連絡を頂いた時には、拒絶反応や感染症などの不安と期待が入り混じる中、長期透析でこれが最後のチャンスになるのではないかと決断し、移植を希望することを移植医の先生に伝えました。

移植によって取り戻した普通の生活

 金曜日未明に連絡を頂き、週明け月曜日に移植の為の検査を行う予定で自宅待機をしました。この間、「長期透析で本当に移植手術が出来るのか」「拒絶反応や感染症は大丈夫なのか」「断れば良かったのではないか」「入院はどれくらいになるのか」等移植への期待と言うよりは、不安が多く、気持ちが沈み、夜も十分に睡眠が取れない状況でした。
 月曜日の午前4時頃に緊急の呼び出しを受け、移植病院にタクシーで向かいました。移植病院では、すべてが準備されていて、私の意思とは関係なく、移植のための検査、術前の臨時透析を行ない、午後3時過ぎには手術室に入りました。夜の10時頃に手術は終わったようですが、睡眠不足もあり翌朝まで熟睡してしまいました。不謹慎ですが、手術が終わったというよりは、朝までよく寝たというのが正直な感覚でした。目が覚め落ち着くと、すぐにドナーの方のことを考えました。当然、ドナーの方の情報は無く想像するだけでしたが、ドナーの方への心からの感謝と、移植を受けるためには、人の死が在ることの重みを改めて実感しました。透析患者として、治療を受けながら少しでも長生きがしたいと日々願っていた私にとっては、ドナーの方やご家族の気持ちは察するに余りある非常に重いものでした。
 心停止後の移植なので、すぐに尿が出ることも無く、その後1週間程度で徐々に腎臓が機能し、透析は術後3回で離脱しました。膀胱は30年以上も使っていなかったので非常に小さく排尿の管理にとても苦労しました。しばらくはオムツを使っていましたが、徐々にオムツもとれ自分でトイレに行けるようになりました。改めて実感したことは、長期間自身の生活習慣の中で「オシッコ」のためにトイレに行く習慣が完全に欠落していたことでした。

感謝の思いを胸に

 術後大きなトラブルもなく、薬の服用、食事管理(食べ過ぎないよう)、血圧管理、体重管理、感染予防などに気をつけて毎日生活しています。長期透析による合併症も徐々に改善され、杖を使わなくても歩くことが出来るようになりました。普通の生活が送れることがどれだけ幸せかと言うことを一日一日実感し生活しています。
 献腎移植を受け2年程が経過しましたが、ドナーの方、ご家族の方への感謝の気持ちは、今も変わっていません。献腎移植を受ける機会をいただけたことに感謝し、時には夢のように思い、日々生活を送っています。ドナーのご家族の皆様に直接お会いし御礼を申しあげたい思いでいっぱいですが、現在の制度の中では、それは叶いません。
 私は、長年福祉関係の仕事に携わってきました。力不足ですが、この仕事を通じて社会に少しでもお返しさせていただくことが私の役目と信じています。お預かりさせていただきました腎臓を大切にし、これからも社会の役に立てるよう頑張ってまいります。

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