心臓移植を体験して感じたことが、子供たちに少しでも伝われば・・・

「自分が死ぬ」と初めて実感

職場の定期検診で心電図に異常が見つかり、精密検査の結果「拡張型心筋症」と診断されました。「心臓のポンプ機能が次第に低下し、最終的には心臓移植でしか助からない病気です」と説明されました。「人間は死ぬ」ことは知っていましたが、「自分が死ぬ」と実感したのはこの時が初めてでした。次に考えたのは「どんな死に方がしたいか」、反対に「死ぬまでどんな生き方がしたいか」。これまでの人生を振り返りつつ、とにかく自分で納得できる生き方、死に方がしたいと思いました。だから頭の片隅に「死ぬ」という意識はあっても、毎日暗い気持ちで生活していた訳ではありません。
通院しながら快復を願いましたが、病気は確実に進行していきました。少し動くと息苦しくなり、その場に座り込むこともありました。さすがに耐えきれず最初の診断から8年後、本格的な治療のために入院。しかし病状は悪化するばかりで、3ヶ月後に「内科的治療の限界」と告げられました。臓器移植法が施行されていたとは言え、脳死下での臓器提供は年に数例です。しかも体じゅうに器械が取り付けられ、ベッドに寝たきりの状態では家に戻ることもできません。「病院で死ぬんだ」と覚悟しました。そんな時、主治医から「大阪の病院で補助人工心臓を装着すれば、あと1年か1年半くらい心臓が持ち堪えて、その間に移植が受けられるかもしれない」と言われました。この話を聞いて自分は「この病院で死ぬか」、それとも「数%の可能性に賭けるか」、と決断を迫られたように感じました。家族のこと、親戚のこと、仕事のこと…最後は「男の美学」、「人間の美学」ということまで考え、悩み抜いた末、最終的に「数%の可能性に賭ける」ことにしました。

ドナーとそのご家族の尊い善意によって生還

転院先の病院でも治療に関しては医師に、身の回りのことは看護師にお願いするしかありません。最初はベッド上だけが自分の生活空間で食事や排便まで看護師のお世話になりました。体の痛みに耐えかねて何度もナースコールを押したこともあります。少し歩けるようになると体力維持のためリハビリが課せられましたが、ほんの10m歩くだけでどっと疲れました。何とか自分で動けるようになっても感染の心配があるので、自由に行動できるのは病棟の廊下だけ。他に何かできないかと考えても何も思いつかず、とにかく心安らかな毎日を送ることだけに専念しました。幸い、病室はインターネットが使える環境だったので、時々の思いを家族や友人、同僚や生徒たちに配信していました。

(10月4日の配信より)
ある日、ナースから「私たちはあなたから元気をもらっているんですよ」と思わぬことを言われた。 「そんな馬鹿な」と思いながら彼らを観察していると、 彼らにとっては自分が消毒に耐える姿がたまらなく刺激的らしい。 顔をしかめて、目を細めて、口を真一文字に結んで痛みに耐える自分。 そんな自分と同じような表情をして、消毒の介助をしてくれるナース。 消毒が終わり、僕が「ふっー」とため息をつくと彼らもニコッと笑って、 「ふっー、お疲れ様でした」。 高校での授業を思い出した。そういえば授業が終わって、緊張感から解放された 生徒たちが「ふっー」とため息をつくと、うれしかったなあ。 彼らの頑張る姿を見て元気もらったなあ。 心臓移植の待機患者となって、現実に「生きる・死ぬ」を意識するようになって 今まで見えていなかったものが薄っすらと見えてきたような気がする。


面会に来て頂いた方々から一番言われた言葉も「元気もらったよ」でした。どうも苦境の中でも踏ん張る人間の姿は、見る者に勇気と感動を与えるようです。その後、器械の故障、感染、全身状態の悪化などいろいろなことがありましたが、病院スタッフの懸命な治療と看護のお陰で何とか乗り越えることができました。そして、最初の入院から3年2ヶ月後に、ドナーとそのご家族の尊い善意を頂き、こうして生還することができました。頂いた心臓を傷つけないように免疫抑制剤や感染予防薬を飲んではいますが、気力・体力共に入院前とは比べものにならないほど充実しています。

心臓移植の経験が広げる世界、繋がる輪

入院生活が長かったので退職を余儀なくされましたが、以前の職が役に立ち近所の子供たちに勉強を教えたりしています。勉強だけでなく人生や社会のことなども伝えながら、彼らが少しずつ成長していく姿を見ることは実に楽しいと感じます。また昨年からは高校で非常勤講師をしています。クラスでは、必ず自分が心臓移植を受けたことを話します。移植を受けた人間を目の前にして驚きの表情を見せる生徒もいますが、「移植医療」についてよくわからないというのが大半のようです。自分の経験したことしかわかりませんが、できるだけ自分の考えを押し付けないように気を付けながら話をします。「命」について、「生きる・死ぬ」ということについてほんの少しの時間でいいから考えてほしいと思うのです。
この病気になり、そして移植によってこの世に生還できたお陰で、随分友人の輪も広がりました。以前の生活を続けていたら、決して出会うことがなかった方々ばかりです。病院で知り合った戦友、また医療関係者の方々とも、病気以外のことでお話しする機会が増えました。外来受診日には患者同士で昼食を一緒にしたり、同郷の戦友とはお互いの家を訪問しあっています。未知の分野の話を伺いながら、どんどん自分の世界が広がっていくようでとても嬉しく思います。この病気によって失ったものもたくさんありますが、得たものの方が格段に多いと感じています。これは決して強がりではなく、本心からそう思っているのです。

「覚悟・挑戦・任天」

移植関連のシンポジウムに参加した時、ドナーのご家族のお話を伺う機会がありました。ご家族の「移植を受けた患者さんは臓器を提供されたことを重荷に感じなくてもいいですよ」というお言葉に正直「ほっ」としたことを思い出します。自分自身の心の中に、「大切な命を頂いたのだから、絶対に頑張って生きなければ…」という責任というか義務のようなものを感じていたことは確かです。きっと、ご家族は移植患者の気持ちを何とか和らげようとして、このように話してくださったのだと思いますが、この言葉を聞いた時、自分を縛っていた鎖から解放されたようで、随分気持ちが楽になりました。そして今度は、「これまで以上に覚悟して生きていこう」と自分自身で決断することができました。今の自分のモットーは「覚悟・挑戦・任天」。何をするにしても覚悟して決断し、できるだけのことはやってみて、後のことはお天道様に任せようと思っています。
初めて病気を宣告された時に感じた「自分はいずれ死ぬ」という実感は今でもあります。だからこそ頂いたこの命を大切にして、ちょっとだけ無理をしながら、前を向いて歩いていきたいと思っています。人生、思い通りにならないことも多いですが、だからこその人生です。「生かされている」ことに感謝しながら、時にあれこれ悩みながら、そしてその都度、ドナーとそのご家族の尊い勇気と決断を想いながら、自らも覚悟をもって決断し挑戦していきます。「不器用な生き方かもしれませんが、こんな自分に出会わせて頂いたこと、ドナーとそのご家族に心から感謝いたします。本当にありがとうございました。」

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