1枚の黄色いカードが家族に与えた勇気と希望。そして多くの人達に与えた感銘をご紹介します。

本人の意思を継ぐ・・・その思いだけで臓器提供を決意

亡くなった娘は二人姉妹の次女です。長女は金融機関に勤めていて、窓口に意思表示カードを置いていたそうです。次女が病院に運ばれた時、本人がそのカードを持っていることなんて知りませんでした。
主治医から次女の状況が大変厳しくて脳死状態だと聞いた時、長女が言いました。「妹は意思表示カードをもっています。」主治医からは、実際にカードがないとだめだという返事。「持ってくる。」妻と長女はカードを取りに家に戻りました。カードにはサインがきちんとしてありました。カードに署名した日は、私の母の3周忌にあたる日だったのです。何か思いがあったのでしょう。私達家族は話し合いました。「どうしようか。こんなにきちんと書いているんだから意思を叶えてあげようか。」「いいよ。」「叶えてあげましょう。」
私達は、それまで臓器移植について何も知らなかったのです。今までの脳死での臓器提供数を聞いて、その少なさにもびっくりしました。何も知らずに決意した私達には、その後、カードの重み、病院の慌しい状況、マスコミが押し寄せてくることなどまったく想像できませんでした。
娘のからだはまだ温かく、かわいい顔をしていましたが、人工呼吸器によって呼吸をさせられているだけでした。病院に提供の意思を伝えた後の夜中、初めてコーディネーターに会いました。「提供意思に変わりありませんか。」「ありません。」このやり取りを何度重ねたことでしょう。やるからには、厳しい状況に耐える覚悟があることを家族で確認しあい、気持ちを微動だにせず、しっかりとコーディネーターに返事をしました。
本人の意思を継ぐ・・・その思いだけで決意しましたが、7人の方に臓器が提供できると聞き、娘という宝石箱から7つの宝石が散っていき、7人の方々の中で輝き生きていく、それでいい、と思いました。

家族と医療者が協力、信頼し合うことの大切さ

名前は公表しないで欲しい、クーラーボックスの撮影もやめてください、このような2、3の条件を申し出ました。コーディネーターはしっかり伝えてくれて、実際には守られたのですが、『関東の女性』が脳死で臓器を提供するという情報は、またたくまに『東京の20歳代の女性』というように、細かな内容でほとんどのメディアに流れていました。病院の出入り口はマスコミだらけで、私達の行動は規制され2日間は缶詰状態でした。
 私達家族はびっくりして「こんなことでいいのだろうか。」と思いながらも、ドラマを見ているような感覚にさえなりました。こんな状況の中、脳死判定の時間、2回目の判定をするまでの6時間、ただひたすら長く感じましたが、静かに待ちました。コーディネーターは逐一、報告してくれました。肺の状況がとてもいいこと、心臓は大阪の患者さんに渡りそうなこと、何もかもを伝えてくれて、それはとても信頼できるものでした。家族と病院とコーディネーターの三者が一体となって、互いに協力し合い、信頼し合うことの大切さを痛切に感じました。
 提供が終わってもマスコミが多くて、すぐには娘を家に連れて帰れなかったので、霊安室に移ることにしました。狭い部屋でしたが、コーディネーターが花を持ってきてくれて、病院で働く百数十人もの人がお線香をあげに来てくれたのです。霊安室にいる多くの人が娘の行為に感銘をしてくれていましたし、私達もその光景に心から感動しました。「いいことをしたね。7つの宝石が輝いていることをいつも心の中で思いながら、私達もこれから頑張って生きていこう。」と。

七つの宝石箱の輝き

肺を移植した人の映像がテレビで放映されたことがあります。一つの命が失われるときに、本人のカードと家族の同意によって20年間病に苦しんでいた40歳代の女性をどれだけ輝かせたかを見ることができました。この姿こそ、娘の宝石箱の輝きに値するのです。これほど元気になった姿に私達は感銘しました。娘の宝石箱のひとつ、肺の移植を受けた方からお手紙をいただきました。『大事にします。今はそれしか言葉がみつかりません。生きるという何にも変えがたい尊い贈り物を、私の命と共に歩いてくださる希望をいただきました。大事にします。大切にします。ありがとうございました。』
 心臓を移植した子どもの手形をカードにしたものもいただきました。これも私達の宝石箱です。7人の方やそのご家族からコーディネーターを通じて情報やお手紙をいただくことが、一番の楽しみです。宝石箱の輝きを確認し、娘の功績を多くの人に喜んでもらっていることに感銘し、そのたびに勇気づけられるのです。娘もきっと喜んでいるでしょう。娘が亡くなって1年経ったとき、肺移植をした方のレントゲンを見せてもらいました。「娘は生きている」と強く感じました。私達は、淋しくありません。7人の方の中で輝き続けているのですから。 厚生労働省から届いた1枚の感謝状には「崇高なる行為に対して」という言葉があり、その行為の気高さを痛切に感じました。娘のお別れ式では、写真の周りにいっぱいの花を飾りました。250人くらいの若い人達が集まって、カーペンターズの曲が流れる中、パーティー形式で見送りました。「娘は立派に生きているので、これは旅立ちなんです。」皆さんにそう伝え、娘を乗せた車が出るときには拍手をしてもらいました。火葬場で真っ白な骨になった時、「いいことしたなあ。」と声をかけてやりました。「何もしなかったら、とても寂しい思いをしたかもしれないのに、7つの宝石を先に取り出しておいてよかったなあ」と。
 亡くなってからしばらくして、娘のボーイフレンドが名乗り出てくれました。とてもいい青年だったんです。もらったネックレスを骨壷に入れてあげました。この時のことを思い出すと、とても感傷的になってしまって涙が溢れてしまいます。

意思を継ぐこと、つなげること

小さな黄色いカードが多くの人に感銘を与え、勇気と希望をもたらしました。その大きさは想像を絶するものでした。いまや意思表示カードは親戚も全員持っています。娘の意思を継いで続きたいんです。
 脳死での初めての提供があった時も、大変な報道とプレッシャーの中で決意したご家族は「次につなげてください」とおっしゃったそうですね。1回目の提供の勇気は2回目につながったんです。私達も、次の人のために提供しようと思いました。娘が提供した後も続いて、今は四十数名の方が提供しています。
 病院の受け皿、考え方、態度、そしてコーディネーターの人間性、信頼性はとても重要です。あの時、院長先生やコーディネーターと真剣に目と目を合わせて話し合い、何度も家族の意思を確認されましたが、娘の意思を継ぐという決意はまったく変わりませんでした。本人の意思を尊重し、大切にしてくれた病院やコーディネーターの協力は感銘に値しました。三者が一体となって大きな力となれば、宝石箱をどれほど輝かせるか、どれほど素晴らしいものにできるかを痛切に感じました。

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