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[特集]世界移植者スポーツ大会in神戸
 96年秋、体の具合が悪く、立つこともできなくなって病院に行った。直ちに透析導入。医師が人工透析についての説明をしていたが、何を説明されているのかわからない。もぬけの殻の自分がいた。なんなんだ、自分はこのまま死ぬのか、生きていられるのか?自分の中では、人工透析イコール「死」だった。週3回の人工透析。それを仕事のように通院していたが、自分の考えはマイナス方向ばかりに大きく進んでいった。何かとため息ばかり、体は疲れて動けない。自慢の筋肉体型は当時85kgの体重も70kgまで落ちていた。透析を終えて家に帰っても、体はがたがたで疲れて寝る。水分も取れず、体の節々が痛くて痛くて、その繰り返しだった。料理番組を見るのが辛かった。食べたくて飲みたくて…。血圧はいつも高く、170/220。体調が日によって全然ちがう。対人恐怖症にもなっていた。とにかく人に知られたくないと思っていた。近所のおばさんや、友達に会うと同情をうけて、それも辛かった。からだと共に心もやられてた。消防署では、もともと第一線の現場に出て体力一本で仕事をしてきた自分。それを考えるとまた、ため息ばかり。普段は明るく振る舞っていたが、内心、考えすぎて頭に穴があくかと思っていた。
 そんなある日、兄が「家族でお前を助けるから心配するな」と言ってくれた。それが生体移植のことだった。あまりに落ち込んでいた自分には、嬉しいとか、希望を持つとかできなかったが、その気持ちだけでも嬉しくて微笑めた。ドナーとなる適性検査を母と兄が受けたが、母から貰えても兄からは貰えないと思っていた。兄には家庭があったから…。だけど、医師からの説明を受けた兄が「俺がお前を助ける、心配するな」「移植して、永く腎臓をもたせて維持することで、恩返ししろ」と言ってくれた。感動した。嬉しくて嬉しくて涙。移植手術に入る前は、同じ移植手術を行った患者に話を聞いたのが一番気持ちが楽になった。これは、今や自分の役割。多くの人を励ますことができるようになった。これも移植のお陰だ。
 移植を受けてから、移植者のスポーツ大会があることを知った。まず目指したのは、2001年1月、スイスのnendaz(ネンダッツ)で行われた冬の世界大会。今回の参加種目はスラローム・ジャイアントスラローム・パラレルスラローム・スノボードのジャイアントスラロームの4種目だった。日本からたった一人の選手なので、かなり歓迎された。この大会で一番感じたのは、世界の移植者の明るさ。自分を表現し、生きていることを見せている感じだ。また、底抜けに楽しくて面白い。競技は、スラロームで2位・スノボードのg・スラロームで2位、銀メダル2個だった。日本人初の快挙だぞ。自分の部屋に、世界の移植者を招いて三味線の音楽に合わせて日本のダンス(踊り)を踊った。必ず夏に行われる神戸で会おうと約束をした。皆、別れ際はつらかった。
 季節はあっという間に巡り、夏の神戸大会初日。開会式の行進に並んだ国旗の奥から、「naoshi!オオ!naoshi!」チェコのおじさんだ。冬季大会ぶり。また巡り会えた。健康でまた会えた。ただそれだけで抱き合い、笑顔で握手。今度はイタリアチームに囲まれた。皆が俺を覚えている。スイスの姫とも再会!感激の嵐だった。

 世界移植者スポーツ大会は生きていることを実感できる場でもあり、また臓器移植医療啓発の場でもある。自分の競技・元気な顔・再会している姿を見てもらって、ちゃんともらった責任を果たしていることをドナーの方々にも伝えられる。書いたり話したりするのは苦手だから、スポーツで頑張るよ。
 大会最終日、閉会式で競技場の芝の上に立ったとき、寂しさがこみ上げてきた。「この大会終わっちゃうよ!皆に再会できた喜び、新しい友達、楽しい時間を一緒に過ごした仲間、こんな楽しい大会が終わる、あと数時間で」皆同じ気持ちなのか、話そうとしない。一人が泣くと溜めていたものが一気にあふれて、自然と自分も周りも泣いていた。

 でも、また頑張って、次の大会(フランス)へ行くぞ!必ず元気で会おう!!

事務局へありがとう、心に焼き付く演出やもの凄い感動ありがとう
ボランティアへありがとう、人の優しさ、思いやりをありがとう
大会関係者へありがとう、大会を支えてくれてありがとう
選手へありがとう、いい競技、いい笑顔をありがとう
ドナーへ 生きる喜びありがとう
玉熊直志(たまくま なおし)
消防署のレスキュー部隊として活動していたが、96年に腎不全となり、透析導入。97年、兄からの生体腎移植。移植後、消防署に職場復帰。日本人初の世界移植者スポーツ大会夏冬連続メダリスト。
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世界の移植者からスケッチブックメッセージ
「決して忘れないで。臓器提供が新たないのち、
違う人生を贈ったことを。」
-レジュ・グリーン
「贈られた生命への感謝、そして、私自身の夢のかたち」-乾麻理子
「生きる喜びありがとう」-玉熊直志
「移植者としてカメラマンとして」-吉江淳
「応援ありがとう!」-加藤直史
「世界へ挑戦!世界の壁は高かった」

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