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デジタルTransplant

五体満足な人間を基準に考える日本共同体は、
亡くなった人に塩をまき、戒名を与えて別物として扱い始める。
しかし、世間が死と認めても、家族の中には生き続けていくもの。
故人の意思を受け入れ生かしてあげることがどんなに尊いことか。
医師の道を歩みながら解剖学を選んだ養老先生のソフトな脳で、
“日本の臓器移植”をシャープに解剖していただいた。
脳死は脳死
日本共同体
移植医療
移植報道
今後の展望
脳死は脳死

雁瀬
医師や看護婦などの医療従事者の道を選んだ人は、病と闘う人を助けたいとか人の役に立ちたいという動機が多いようです。養老先生は医師を目指していながら、なぜ解剖学の道を選ばれたのでしょうか。

養老
僕が大学生の頃はインターンという制度があったんだよね。実際に病院で患者さんに接しながら研修をした時に、「こんなことしてたら何人亡くなるかわからない」と思ったんだ。その頃、病院も医療技術も今のように多くの人を救えなかった。重症の患者であれば治って退院するのも珍しい時代だったからね。

雁瀬
早くも医師の重責を肌に感じていらしたんですね。

養老
医療は甘いものじゃない。生きている人を扱うことは、本当に難しいよ。自分が携わった方が悪くならない保証はないし、亡くなった方ならこれ以上悪くならないじゃない。「私は医者です」という図太い神経は無かったよね。臨床医は白髪にならないとできないと常々言われていたし。

雁瀬
では、何年かして解剖学から臨床の医師に変わる可能性もあったわけですね。

養老
今の日本で研究を進めていると、専門はなかなか変えられないんだよ。だから今も解剖学をやっている。

雁瀬
先生の著書『唯脳論』で代表されるように、解剖学の中でも特に”脳“を専門とされた理由はなんだったのでしょうか。

養老
特に脳を専門にしているわけじゃないけれど、そう思われるのは、結局脳が大切だからかな・・・当たり前っていう感じだよ。だから”脳死“っていう概念があるんでしょ。

雁瀬
先生から見て“脳死”の社会観、臨床観、解剖観とは・・・

養老
脳死は脳死。他の何ものでもないじゃない。東京工業大学のある先生が脳波をコンピュータ解析したいというので、お手伝いを申し出たんだけど、脳導電率を実物の脳で計りたいと。しかも、温度の影響を受けやすいから、体温での比較でないと困る。しかし、研究室にある脳はホルマリンで固定してあるから、生の脳で計りたい。生の脳を体温まであげたら壊れちゃうから、死体の中で脳を体温にあげてみようということになった。いくら死体でも温度をあげれば壊れちゃう。じゃあ、壊れないように生理液や血液を使ってみよう。体温の血液ならもっといい。・・・体温の血液使って脳の中を循環させて、生きている人と同じような状況にして脳波が出てきたらどうする?

雁瀬
そんなこと絶対ないから、生きた脳としてのデータがとれるわけないですよね。

養老
でしょ。だから脳死は脳死なの。実験は取り止めになったよ。
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日本共同体

雁瀬
日本ではどうして脳死を認めにくいのでしょうか。心臓死を人の死としたルールに従っていた時間があまりにも長かったせいでしょうか。

養老
心臓が停止したからって、脳まで死んでいるって誰が保障できるの?全身にある千億個の神経がすぐに全部死んじゃうわけ無いでしょ。心臓が停止してもまだ生きている神経や細胞はある。脳死も心臓停止も瞬間の事象ですよ。生まれる前から人は確実に死に向かっているんだから、その中の瞬間にすぎないさ。

雁瀬
確かに、この世に生を受けた瞬間から死に向かってますね。

養老
そう。「元に戻らない」というのも脳死からではなくて、生まれる前から。

雁瀬
では、いつが死なんでしょう。

養老
お医者さんが「御臨終です」と言った時だね。今までは死の時間に少し幅があってもよかったんだけど、脳死は判定した瞬間が重要になるから大変なんだね。

雁瀬
死後に臓器を提供してくださった方も献体してくださった方も、その後に迷ったり悩んだりするケースがあるのは、どうしてでしょうか。

養老
それは、日本での人間規定にあるな。日本における“人”とは、世間の人だけをさしているんだよ。日本人の親から生まれて日本語を話せるメンバーズクラブが日本共同体。そうでない人や生まれてくる前の人は入れない。共同体から出て行く時は、死んだ時だけだよ。死んだ人はただの人なのに、告別式には平気で塩をまくんだ。戒名を付けて人とは別の物として“世間の人”ではないことを知らしめる。つい最近まで一緒に共同体のルールを共に守ってきた人なのに、死んだら共同体としての意見を持たなくなるでしょ。だから悩むようになるんだよ。

雁瀬
脳死が理解されにくいのも、そこにヒントがありますね。

養老
脳死を認めるということは、共同体から排除することだから、今まで心臓停止をもって日本共同体から排除することを決めていたのに、それを一部の医者が決めるのはけしからんということだよね。なんでも皆で決めてきたのに、一部分の人が決めると共同体のルールが崩れることを恐れている。だから大事件として騒ぎ立てるのさ。

雁瀬
ええ。個人の意思表示の問題なのに、社会全体が大きく取り上げました。特に反対する方の声は大きかったですね。

養老
日本人は昔から、死んでいく人を共同体からうまく出してあげることがとても下手なんだよ。だから切腹して自分から出て行くことを強行しなくちゃいけない時代もあった。共同体としての意見じゃなくて、その人個人の意思を尊重することがどれだけ尊いことかを気付かなくちゃね。それでこそ故人も家族の中で生き続けるというもんじゃないかなあ。

雁瀬
そのような意識を社会全体が捉えることはできるでしょうか。

養老
個人レベルでは変われるけれど、共同体としては難しいでしょ。時間をかけていくしかないかな。でも、全体がそう変わる必要があるかな。

雁瀬
海外諸国ではその統一が図れているような気がするのですが。

養老
外国が進んでいて日本が遅れているというのは嘘だよ。それぞれの国のやり方があるんだから、それぞれでやっていればいいこと。移植数を比較するのもナンセンスでしょ。

雁瀬
あまりにも実績が違いすぎて、比較にもならないのですが・・・。
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移植医療

養老
日本はよく考えていない人が多いんだよね。答えの無いことは教えられないシステムになっているし、教師も出版業界もルールを外れることは言わないようにして面倒を避けるからね。

雁瀬
移植医療を考えるきっかけが、なかなかないんですね。

養老
だけど、3年間で論議が二分化して、賛成と反対がはっきりしたようだね。

雁瀬
新聞社や総理府などのアンケートの結果を見ると、おおよそ、提供したい人が3割、提供したくない人が3割、どちらともいえない、決め兼ねているという方が4割という印象です。

養老
いいところだね。そんな感じでしょう。

雁瀬
社会として全員が認めるのは難しいと思います。移植先進国であるアメリカでさえ、自分は嫌だという人もいます。だけど、日本人が自分のこととして考えて、意思表示をしているのに、見たこともない人が反対だと言うのも可笑しな話だと思います。もうひとつ特徴的なのは、自分が提供するのはいいけど、家族の提供は考えられないという方が多いのですが。

養老
癌告知と同じだね。人は、自分のことしか考えられないんだから。自分が癌になったら告知してくれと言うけれど、家族には癌であることを告げないで欲しいという人が多いよね。科学や医療が発展してきて、死期がわかるようになったことは、いいことばかりを運んで来なかった。死期が迫っていることがわかった人達にはもう、共同体のルールや縛りが効かなくなっちゃうんだから。共同体に残る人はそのルールが当てはまらない人のことを考えられないということだよね。

雁瀬
だからこそ、共同体の中で生活している時に、お互いの意思を確認しあっておくことが必要なんですね。ただ、万が一の時には、提供の意思がわかっていても、ご家族が迷われることはあると思います。その迷いも辛さも含めて支えられるシステムが必要なのだと思います。移植が少しずつ増えて多くの体験が身近に語られるようになれば、自分のこと家族のこととして考えるきっかけになっていくのではないでしょうか。

養老
しかし、移植医療の成果が広く知られればニーズも増える。でもドナーはなかなか増えない。難しいね。
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移植報道

雁瀬
脳死移植に対する報道に関して、プライバシーの保護と報道の自由の両立は先生から見られてどのような印象でしたか?

養老
今まで言ってきたような、日本共同体の問題を隠すことに奔走したんだなっていう感じだよね。本来明らかにしていくべき社会の歪みを隠すために、多くの事を並び立てて報道したけれど、肝心なことは言えていない。

雁瀬
初めの頃には本当にびっくりしました。こんなに大きく報道され、騒がれなくてはいけないことなのかと。

養老
まあ、あの時の報道は非常識だったね。ある人が日本のルールの中で個人の意思を表示していて、家族がその意思を叶えたいと思っただけ。ましてや、諸外国ではすでに数千例の移植が行われているし、海外で心臓や肝臓の移植を受けて生活している日本人がすでに数十人もいたのに、その人達のドナーとなった人のことを考えたことはあるのかなあ。臓器移植を報道する必要なんか無いよね。初めて献体をしてくれた人は報道されなかったよ。献体は共同体のルールの外だからね。

雁瀬
個人や家族の選択肢のひとつとして、どちらも尊い行為なのに、家族を失った心の痛みがそのことによって増幅する方と少しは癒される方がいらっしゃいます。家族の心の検証をしようという動きもあります。

養老
“死”は、個人においても家族においても、そのエピソードはさまざまですよ。心の内の本当に言いたいところは言わないものだし、言えるようなことはすでに客観的にできあがっていることが多い。”何か“を探って言わせようとしたい部分もあるんだろうけど、家族の心の痛みをその言葉で判断しちゃだめだよ。それよりも、法律の不備が指摘されてもいいんじゃない?小さな子供たちの提供はできないけれど、海外でもらってくるのはいい、なんて無茶苦茶だよ。
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今後の展望

雁瀬
21世紀の日本の移植医療は、どこまで変われるでしょうか。

養老
将来的には、移植医療は先細りになるべきだよね。移植の必要性が減っていって移植も減っていくような。

雁瀬
ES細胞による臓器再生や人工臓器は、移植医療を代替し、移植数を減らすことができますか?

養老
自分の学生の頃から、クローンや人工臓器は考えられていたよね。だけど、世間でいわれているほど進歩していない。だって、生き物が相手なのに、それを論文で発表することにステータスを感じている人が多いから。論文は、情報であって生きていない。その情報をある時点でまとめても、その後も刻々と変わっていることに気がつかないんだよね。停止している情報があふれてきているのに、生きている物が創れるわけないじゃない。生きている物を静止した情報にしているのが今の医者達。イカからスルメはできるけれど、スルメからイカはできないでしょ。

雁瀬
つまり、論文を重視する学会の方向性からして向きが逆・・・ということなんですね。ホスピスの先生がおっしゃっていました。昔、大学病院にいた頃は何人が何ヶ月生きたとか治ったとかいう論文は自分の出世に役にたったけれど、患者さんの最期にいい看取りができましたと書いても誰も読んでくれないと。寂しさを感じました。

養老
今のシステムをつくっている学者達では、将来を変えていくのは無理でしょうね。医療技術の進歩が移植の必要性を減らすことができればいいけれど、今の移植医療では、ひとりひとりの人間が時間をかけて共同体意識を変えていかないと。移植医療の延命効果は確かなんだから、あとは個人の問題として捉えて行ければね。

雁瀬
移植の数や成果にとらわれず、社会の問題としてのお話はとても新鮮でした。いつも、どんな技術の中でも、私達ひとりひとりに”今できること“を見つめていきたいと思います。ありがとうございました。
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養老孟司(ようろう たけし)
1937年生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学を専攻し、
現東京大学名誉教授、北里大学教授。
身体、脳、死についての著書が多く、
解剖学的見地のみならず社会的な考察も深く鋭い。
『唯脳論』はブームを引き起こすほど話題となった。

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