コミュニティ

トップページコミュニティデジタルTransplant

 

デジタルTransplant

[特集]脳死移植3年を振り返って-ご協力頂いた方々の声
高知県消防防災航空隊 消防隊長 久保泰祐
 平成9年12月に脳死患者からの臓器移植についての会が高知市内のホテルで開催されました。その時、臓器の搬送手段の一つとして高知県の防災ヘリは第4番目の搬送手段であると説明を受け、ヘリでの臓器搬送はまず無いなというのがその時の感想でした。

それから約1年2ヶ月後、「高知県で第一回目の脳死判定が行われる。」とのニュースで急いで出勤し、会議の資料を参考にその手順とどこでどの臓器の移植手術が行われる可能性があるのか、臓器ごとの搬送許容時間、搬送先の場外離着陸場の調査、飛行経路の選定等を行い、搬送依頼を受けたときにすぐ対応できるよう準備をしました。
 通常の緊急運航では人命救助、大規模災害対応、火災での消火活動等を行っていますが、臓器搬送では臓器を運ぶというより、ドナーの尊い遺志を運ぶという気持ちでした。搬送終了後はレシピエントの移植手術が成功し早期社会復帰出来るよう祈ると共に、今回の臓器搬送に関わったことでさらなる任務の重要さを再認識しました。
中日本航空(株)飛行機営業部 高野達夫
 航空機事業を営む当社が、移植医療に関わったのは移植法の施行が決まった一週間程前でした。いよいよ、日本でも脳死臓器移植が始まる夜明け前という時期です。それは関係当局、医療関係機関及び対象レシピエントをはじめとして、さまざまな人たちの期待、不安、関心あるいは無関心が交錯した状況の中でのことでした。

関わりの第一歩はJOTとのタイアップでの搬送シミュレーションです。小型ジェットで北海道から大阪へ心臓搬送、北海道から名古屋、さらにヘリコプター連携で松本へ肝臓搬送という計画で実施したときからです。この時に初めて各臓器のライフタイムを学び、搬送区間で許容時間をクリアできれば今後の実用に目処がつくという意味も理解できた次第です。ご存知のように出番がきたのが1999年2月28日で、実感として本当に発生したのかと思うくらい長い長い待ち時間でした。

初めての搬送の時は、とにかくマスコミからの問い合わせが多く、それも情報を一人に集約して対応する方針をとっていたため眠れない状況でした。素朴に「何故、飛行機が主役でもないのに問合せが殺到するのか」と思ったものです。最近ではその対応もかなり上達しました。振り返れば、航空機が関わった事例が2001年1月21日で11回(内1回キャンセル)を数えました。今ではそのすべてに関われたことに何か満足感に似た気持ちでいます。
人間の命の尊厳問題から発する”命のリレー“を担う行為の一部分で、非常に重要なところを任されていることは、身の引き締まる思いです。今後、日本でも臓器移植がごく普通の医療として、静かに定着していく日が来ることを確信しております。その創生期にJOTはじめ医療関係者の信頼を得て、要請に応え続けることが私どもの使命と心得て頑張りたいと思います。
TOP▲
兵庫県立西宮病院腎移植センター 部長 福西孝信
 脳死の方から提供された腎臓が送られてくるという情報がきた時、マスコミがどれだけ押し寄せるのかが心配でした。献腎移植は従来から行っていることで、脳死での提供による腎移植が行われるからと言って、施設としては特に騒ぎ立てることではないからです。ある新聞記者になぜそんなに騒ぐのかと聞いたところ、「心臓や肝臓と違って腎臓移植はすでに行われているのでニュースとしての価値はそれほどありませんが、一連の臓器の行方と予後を知りたいからです。」という返事でした。それならこんなに騒がなくてもよいのにと思ったのが率直な感想です。

自分自身が脳死になったとき、使える臓器、組織はすべて提供してもよいと家族に伝えてあります。すべてを灰にすることはない。家族もみんな同様の考え方をしていますが、現実にそうなったとき、どう判断するか分かりません。それは知としてはあっても、心情的な支えがあるか否かによると思っています。

移植を受けた方は、昭和56年に透析導入となり、移植待機後2度目のチャンスで実現しました。移植によって透析が無くなり、自分自身の時間が出来るので、感謝の気持をもって四国四十八箇所を回りたいということでした。自分自身だけが良い思いをするだけでなく、移植を希望している他の患者さんも早く移植を受けられるようになって欲しいと願っていらっしゃいます。現在の状態はすこぶるよく、経過、予後ともに良好です。
東京女子医科大学腎臓病総合医療センター 臨床検査室主任 林哲男
 脳死移植法が施行されてから当検査室では8例の脳死移植に関わってきました。当初は戸惑うことも多く、検査項目についても充分な検討がされていなかった中でのスタートでした。しかし現在では検査マニュアルの作成、連絡網の整備など、その対応は充分なものになってきました。

臓器移植ネットワークからの第一報は、なぜか週末夜間であることが多く、検査は深夜から早朝(時には夕方)にかけて行われます。検査に必要な血液は、飛行機や新幹線などの交通手段を用いて検査室に届けられますが、それまでの過程を考えると、奔走する移植コーディネーターの方々にはいつも感心させられます。

脳死移植医療はチームワークが重要であり、医師、移植コーディネーター、検査担当者がその立場を越えて意見を述べ合い、互いに尊敬し、尊重する気持ちを持って臨むことが必要と思われます。我々は、今後も「命」の大切さを充分に認識し、関わりの持てることに誇りを持って対応して行きたいと思います。
TOP▲
杏林大学組織移植センター 組織移植コーディネーター 鈴木智絵
 私が、脳死下での臓器提供に関わらせていただいたのは、東京の方の提供の時でした。
組織移植の一つである皮膚のご提供を頂ける可能性があるとの情報を受け、まだ研修の身であった私は杏林大学スキンバンクの一員として現地に向かいました。当時の私は脳死下での臓器提供を一般の方々と同じ視点で受け止めていたため、自分が摘出手術に参加することに大変緊張しました。

ドナーの方、そのご家族に面会した際、私は涙が出るのを必死でこらえていました。ご家族も、様々な感情の中で、提供する決断をされたのだと感じましたし、このご決断を無駄にしないよう努力しなくてはという責任感を自分自身の中で感じていました。

私は、現在組織移植コーディネーターとして、活動していますが、初めて経験した時の想いを忘れず、故人の方の尊い意思を生かせるよう、今後も努力して参りたいと思っています。
福岡徳洲会病院 副看護部長 日高良江
 愛する家族が突然の事故で、生死の境に陥った時、家族には多くの苦悩と混乱が襲いかかります。その状況の中で、何度も話し合われ臓器の提供を申し出られたご家族に頭の下がる思いがいたしました。それからの1週間、片時も離れず、いつも話しかけ、手を握り、髪をなでるご家族のお姿は愛に満ちていました。

今回ご提供してくださった方は、二十歳前の女性でした。死に急ぐ十代の若者が増えている中で、命の大切さと人間の尊厳を教えてくださった十代の勇気に感動を覚えました。

臓器移植は一人の死によって、多くの人に命をもたらすという崇高な行為です。彼女の勇気とご家族が尊いご決断をされたことで、移植以外に生きる道の無かった3名と一生透析治療を続けなければならなかった2名の方やそのご家族、まわりの方々へ、何事にも代え難い素晴らしい贈り物、いのちのリレーが行われたのです。そのいのちのリレーに関わった私達は、ご本人の意思とご家族の決断に報いるために、何としてでもご提供頂いた大切な命をつなげるために最大の努力をしました。そして、多くの方々にご協力を頂き、その命の灯は引き継がれたのです。
TOP▲
藤田保健衛生大学救命救急センター 移植コーディネーター 原美幸
 提供とは死後のことです。治療に納得し「死」を覚悟しなければ考えることはできないでしょう。残されたご家族は、本人の生き様そして最後の死に方に共感し決断をします。他人の為に役に立ちたいという崇高な気持ちに感動し、その意思をなんとか叶えたいと決心するのです。

そのような中で最期の看取りは、思い出にひたり、またこれからのことに思いを巡らせ、そうしながら静かに過ごそうと誰もが願っています。
しかし、納得の上での承諾とはいえ、現実はその思いとは裏腹にあまりに騒がしい。承諾と同時に次から次へとくる提供遂行のための確認作業、さらに移植の透明性という報道騒ぎ、それらは何よりも提供家族に不利益が起こらないため。ということで特に脳死段階の提供では今だからなのでしょうか、休まる時がないようです。

ご家族の提供の同意に対する納得と世間の興味のずれは大きい。そんな気がします。ご家族の納得に対し、それを見守る度量を期待したいのです。静かな最期の別れのために。
福岡県臓器バンク 福岡県臓器移植コーディネーター 竹内徹
 臓器提供者の意思に応え、ご家族が「提供して良かった」と思える提供にしたい。いつも私達コーディネーターの心に留めている事です。

九州地方で実施された脳死下での提供の際も、コーディネーターだけでなく病院スタッフ、県警など関連機関は「蘇生する事が叶わなかった方の意思を最大限尊重し、本人と家族が最後のときを静かに過ごしてほしい」という思いを共有していました。
病に苦しむ5人の方々が移植によって救われ、提供者の善意とご家族の決断は生かされました。

しかし一方では、報道機関による過剰な取材や移植に反対する団体の抗議運動もあるなど、ご家族に心配をかける残念な状況もありました。善意で成り立つ移植医療は移植に関与する者の責任ある行動と病院等の関連機関の協力が不可欠です。また移植について各々の異論はあっても、他者の意思つまり提供者個人の意思と家族の決断もひとつの人権として承認し尊重する社会でありたいと願います。
TOP▲
(財)秋田県臓器移植推進協会 秋田県移植コーディネーター 土方仁美
 「北のち北西の風ともにやや強く、曇りで時々雨、雪がまじるでしょう」全国で6例目となる脳死からのご提供が行われた平成12年4月16日の秋田は、予報通り肌寒い1日でした。コーディネーターの一員として初めての脳死からのご提供に関わらせていただいた私は、「たくさんの人を助けてほしい」というご本人とご家族の思いに触れ、一枚のカードに託された命の重みを実感しました。業務を終え帰宅した私は、子供たちの笑顔がいつも以上にいとおしく、同時に私に万が一のことがあったら、子供たちは主人はどんなに辛い思いをするだろう、そして逆の立場だったらとひとりの母親として妻として真剣に考えさせられました。

私も財布の中に意思表示カードを入れ持っていますが、主人は大切な家族を失う悲しみに直面した時、その意思に応えられるかは正直なところ分からないと言います。大事なのは『命』について話し合うプロセスなのだと思います。
由利組合総合病院 副院長 進藤健次郎
 当院に入院された患者さんが脳死と判定され、提供された肝臓が京都大学附属病院で不治の肝臓病に苦しむ患者さんに移植されました。

私共の病院が臓器提供病院に指定されたのは、平成11年6月のことでした。以前から脳死臓器移植に関して院内の研修会で勉強していましたが、提供病院になってすぐにシミュレーションを行うなどして準備を整えてきました。厚生省からは、それまで行われた4例の脳死臓器移植の詳しい報告書が順次送られてきていましたので、脳死判定医はじめ関係者全員が目を通し、脳死判定に際しての注意点などは充分に理解するように努めていました。
とはいえ、人口5万人に満たない田舎町で実際に起こるのはまだ先のことだろうというのが大方の考えでした。それがにわかに現実のこととなり「意思表示カードを持っています」「大勢の人を助けてください」とおっしゃるご家族の言葉に後押しされて、尊いご意思を成就すべく、病院は一丸となって動きました。

脳死臓器移植で提供病院はしっかりと脳死を判定し、患者さんとご家族のプライバシーを守ることが求められます。当院での提供については、脳死判定の経過、臓器移植ネットワークの対応ともに検証会議で問題点等の指摘はありませんでした。

まだまだ課題の多い日本の脳死臓器移植ですが、提供病院における慎重なドナー対応と移植病院における高い移植成功率を示すことができれば、いずれ日本の移植医療も大きな進展ができることと思います。
TOP▲
大阪大学大学院医学系研究科機能制御外科 助手 福嶌教偉
 臓器移植が再開されるまでは、本当に我が国で自分が臓器移植を受けることが出来るのだろうかという強い不安を覚えながら移植を待機されていた患者さんも、いつかは自分も臓器移植を受けて元気になれるのだという希望をもてるようになってきたように思えます。しかし近づいてくる死を背にしながら臓器移植を待つ患者さんの気持ちは、いつも顔を合わせている私でも代弁することはできません。

大阪大学医学部附属病院では3人が心臓移植を、2人が肺移植を、2人が膵腎同時移植を脳死ドナーの方から受けることができました。まだ全員が完全に普通の人と同じような生活を送れるようにはなっていませんが、移植前には、心不全や呼吸不全のために動くのも、それどころか息をするのもしんどかったのが、うそのように楽になられています。

3人(心臓移植・肺移植・膵腎同時移植各1人)の方は社会復帰されて、ドナーの方に報いるためにも一生懸命に働いておられます。'00年の4月に心臓移植を受けられた方は、心臓移植を受けるまでに4年以上も入院し、何回も瀕死の状態になったこともあり、この正月を自分の家で家族と元気に迎えることが出来て、本当に夢のようだと感謝されています。

このように皆が元気になることができたのは、ドナーの方とそのご家族の比類のない尊い意思、幾多の障害を越えて臓器提供まで導いてくださった提供病院のスタッフの方々、そして臓器移植を支える日本臓器移植ネットワーク、地元の警察、消防局、交通機関の方々のお陰だと感謝しております。まだまだ多くの方々が臓器移植を待っていますことを考えると、早くに臓器移植が我が国でも定着することを期待してやみません。また、我が国でも多くの子供さんが心臓移植を必要としているにもかかわらず、法律上小児の心臓移植は実施できないのが現状です。何とかこのような子供さんを救うことの出来るよう頑張っていきたいと思っています。
全日本空輸株式会社 マーケティング室サービス推進部 ANAスカイアシストデスク
加藤恵一
 平成11年2月末、高知空港に臓器移植ネットワークの方が見えました。ANAが携わった「いのちのリレー」の始まりでした。応対にあたった高知空港の職員は何をすれば良いのか分からない中、手探りで準備が進められました。

そして移植当日の朝、大阪大学の摘出チームを乗せたエアーニッポン405便は高知に向けて伊丹空港を出発しました。状況は刻一刻と変化しつつ、あっという間に一日は過ぎていきました。夕刻、腎臓を乗せた飛行機が高知空港を飛び立ち、当社における「いのちのリレー」は無事に終了しました。

あれから2年、何度かの臓器搬送に携り、最近では臓器移植ネットワークからの連絡を受けた際の対応もスムーズになってきました。このような所にも移植医療が定着してきたと感じ取ることができます。今後、移植医療がますます一般的になってくる事が予想される中、公共交通機関の責務としてできる限り「いのちのリレー」の一翼を担い、ひとりでも多くの方の命を救う一助となることを目指して行きたいと思います。
TOP▲

戻る

 

TOPへ戻る