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[特集]巡り合わせたものは移植とスポーツ
 
 勇暉は、生後まもなく両側の腎臓が低形成であることがわかり、生後1ケ月よりCAPD(腹膜透析)を始めました。それから移植を受ける5歳までの5年間、1日もかかさずCAPDを続けました。CAPDは生きていくために大事なもので、感染症や器具の状況にはたいへん気を遣いました。赤ちゃんにそんな治療をさせてだいじょうぶなのか、またちゃんと歩いたりできるのか、ずっと寝たきりになるんじゃないかとか考えても仕方のないことを心配し、また健康で生まれてくることがどんなに幸せなことかしばしば考えさせられました。

腎不全になると、食事制限がありますが、新生児の頃から低リンミルクを飲ませることになってしまいました。私から見ても、低リンミルクはとてもおいしいとは思えず、いつか飲まなくなってしまうのでは、と心配していました。けれども心配をよそに低リンミルクはずっと飲んでくれました。

しかし、ご飯を食べられるようになると、今度は毎日の食事のメニューに悩むようになりました。幼児なので、食べる量は大人の半分以下ですが成長していかなければならない時期なので、牛乳等の乳製品をほとんど摂取することができないことや、肉や卵や魚なども好きなだけ与えるというわけにはいかなかったことが、本当に大変でした。特に刺身が好きで、おなか一杯食べることができず、悲しい顔をしていました。
大変というか、これはがんばったというものに、2歳頃から始めた貧血改善のための注射がありました。この注射はかなり痛かったようですが、移植するまで本当に我慢して頑張ってくれたと思います。

もともと、CAPDを始めるときには、「将来的には移植を」との話がありました。そして、勇暉が幼稚園に入園した頃から、私の中で移植を受けて元気になってほしいという思いが強くなりました。でも、勇暉(O型)と両親(A型、B型)との血液型が違うこと、そして勇暉には腎臓の他に心臓にも病気があったことなどがあり悩みました。そして、同じ血液型だった祖母から腎臓を提供していただき、東邦大学大森病院にて移植手術を受けました。

移植後1年が過ぎようとしていますが、移植の素晴らしさを感じる毎日を送っています。勇暉の顔色はとても良くなり、何にでも積極的に挑戦したがるようになりました。何よりも、夜、CAPDの心配をすることがなく眠れるようになりました。また身長も今までになく1年で7センチ近く伸びました。CAPD中は感染の危険があるため、プールは全然行けないし、家のお風呂に入るのも、自分の思うようにザブーンと入ることができず、1回1回大変だったのですが、移植後はスイミングも始めて大喜びしているし、週末には近くの温泉によく行っています。食事の量も増えました。野菜も以前は全然食べられなかったのですが、椎茸もピーマンも大好きになりました。牛乳も毎日飲んでいます。本当に、元気で子供らしい生活を送れるようになりました。今年はスポーツ大会に初参加。結果は自分が思っていた通りではなかったようで、来年はちゃんと練習してから出るんだと張り切っています。

腎臓を提供してくれた祖母、手術・看護していただいた病院のスタッフの方々、いつも心配してくれた幼稚園の先生や友達、その他応援してくれたたくさんの方々に感謝を忘れず、何事にも精一杯挑戦していって欲しいと思っています。
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巡り会わせたものは移植とスポーツ
さらなる目標に向かって-樋口健太郎
看護学校を卒業してコーディネーターに-広川陽子
子供らしい生活ができるようになった勇暉-本間暁子

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