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デジタルTransplant

[特集]子供たちとともに
 日本では、脳死での臓器提供ができなかったため、臓器移植法ができるまでに心臓移植が必要な方々三十余名が海外に渡っています。およそ十年も前に移植のために海外に渡った小林未央さんもそのひとり。子供ながらに感じたことを振り返っていただき、お母様にも移植を受ける子供を持つ親としての体験と今のお気持ちを語っていただきました。
 私は、小学校2年生の時にアメリカで心臓移植をしました。移植前のことはあまり覚えていませんが、主治医の布田先生が小学校1年生の私にもわかるように、絵を書いてくれたり心臓病の話をしてくれたり、一生懸命説明してくださったと母から聞きました。自分では良くわかっていなかったのかもしれませんが、とにかく病気が治るなら、たとえ地球の裏側であろうと行きたいと思っていました。移植のために渡米する時から術後の一番大変だった頃のことは、本当に記憶がありません。病気が悪化して考える力が弱っていたのかもしれません。術後は、記憶が戻ってからも検査検査の毎日でしたが、私にとってはそれ以上に楽しいことが多かったので、辛かったこと苦しかったことはあまり覚えていないのです。

  移植を通して、たくさんの人と出会いました。渡米を間近に控えた7月7日に病室で七夕をしてくれた国立甲府病院の看護婦さん。アメリカで家族のように大切に接してくれた日系人の方々。治る見込みも少なかった私をアメリカの医師に一生懸命働きかけてくれて、わざわざアメリカまで連れていってくれた布田先生。そのほかにも、アメリカのお医者さんや看護婦さんに本当にお世話になりました。私は、とても恵まれていました。私ひとりの命を助けるために多くの人が協力してくれました。私の命は、自分ひとりのいのちではないというその重みを感じています。移植は私にとって辛いことではなく、とても良い経験でした。自分でもまさかこんなに元気になれるとは思ってもみませんでした。本当に嬉しいです。

  今から移植を受けなければならない人や今病気の人たちに言いたいです。「どうして自分ばかり…」とは考えないでください。そんなことを考えて生きる力を失えば、自分も家族も辛くなるばかりです。

  私の命を助けてくれた人たちのために、今病気の人たちのために、私は自分の命を大切にして元気な姿をいつまでも見てもらいたいんです。これからもいろいろなことに挑戦して病気の人や苦しんでいる人たちに少しでも勇気を与えられたらと思っています。
生きている


生きている
聞こえる
見える
物を持ってる


生きている
かなしむ
よろこぶ
おこる


生きているということは
とてもすばらしいことだ
 未央は、兄ふたりの3人兄弟の末っ子で生まれました。生まれた時は太っていてムチムチしていて、ごく普通に育っていたのですが、3歳頃から走ったりした後に吐きっぽくなることがよくありました。小学校1年生の冬に風邪のような症状になったのですぐ病院で精密検査をしてもらうことにしました。それというのも、未央のすぐ上の兄が4歳の時に心臓病で亡くなっていたからです。悪い予感は的中して病名は兄と同じ拡張型心筋症でした。この時は神も仏も無いと思い、自分の人生を恨みました。拡張型心筋症は治らない病気だと息子の時に聞いていたので未央には移植しかないということがわかっていました。でも、移植なんて雲をつかむような話で何にも知りませんでした。どこにも相談できず困っていた時に、主治医の先生が学会で布田伸一先生の移植についての話を聞き、相談してくださり、布田先生と出会うことができました。布田先生は世界各国の病院に問い合わせをして調べてくださり、最終的に当時移植の成績が一番良いアメリカ・ユタ州のユタ心臓移植チームに決めてお願いしてくださいました。ユタ心臓移植チームで日本人が移植を受けるのは未央が初めてでした。渡米前にこのようにしている間にも病状はどんどん悪化するばかりです。それまで少しは座っていられたのに、寝たきりで首を持ち上げることさえできなくなりました。1ヶ月ほどですぐに出発が決まりました。早く行かなければと思う反面、この状態を保ちながら生きていられるのならばなにもアメリカまで行って治療しなくても日本で頑張っていたいというふらついた思いになったり、何度か考え直そうと思ったこともありました。でも、先生にお願いする以上、自分がふらついた気持ちではいけない、頑張ろうと思い、強く移植を希望していることを伝えました。当時、日本にも心臓移植を受けた人が2,3人いたのですが何も知りませんでした。布田先生から移植についての説明を受けましたが、移植によって心臓は治るけれども別の闘いを強いられることにもなると言われました。その時にはよくわかりませんでしたが、それほど重大にも考えないで、とにかく一筋の光を求めて渡米することになりました。未央には、日本ではできない手術をアメリカで受けるということだけ伝えました。

ユタに着いて3日目。未央の状態も悪く、意識もかなり薄くなり私は心細くなりました。早くドナーの方が現れないかを願うことが人の死を待つようで自分自身が嫌になり落ち込んでしまいました。たった3日でこんな状態になって、この先どれだけ続くかと思うとノイローゼになりそうでした。幸いなことにその3日目にドナーの方が現れました。手術中はまるで夢を見ているようでした。夜の9時だというのに太陽はまだ頭の上、異国の地で子供の手術が終わるのを待っているのは本当なのかと。

手術は無事終了しました。しかし、術直後から始まる免疫抑制剤の副作用で、髄膜炎をおこしかけたこともありました。薬が減っていくことで解決していったのですが、さまざまな副作用がありました。別の闘いとはこのことだったのです。

今年は移植を受けてから10年目を迎えます。術前から考えるとまさかこんなに元気になれるとは思ってもみませんでした。その当時、自分の受けた手術が「移植」であることを知らなかった未央も周囲の会話からだんだんと察していきました。最近では、「脳死」や「臓器移植」といった報道に人ごとではないと感じながら、ひとりでも多くの方が移植によって助かることを願っています。現在、普通に高校に通い、希望に満ちた生活を送っています。しかし、学校の先生方の関心は薄く、説明しても理解していただけないようです。定期的に検診のために病院に行く時間を放課後にできないのかと言われたり、脳死や移植に反対な人の意見を聞かされたり、見た目に元気そうに見える移植者の苦労を感じています。それほど元気になったということでもあるのですが…。

  だれも味わえない“生きている”という感動は、この経験があったからこそです。これも本当に大勢の人達に助けられて、たったひとつの命は今も灯をともしていられるのです。

  皆様本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。
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移植を受けた子供と家族
移植が必要な子供たち-布田伸一
移植と取り組む子供たち-有村大知・高木雅代
移植を学ぶ子供たち-曽根若菜

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