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[特集]第12回世界移植者スポーツ大会 IN ハンガリー


'95年1月16日、阪神大震災が実家のある神戸を襲った。幸い、父母に怪我はなく、庭の灯篭と2階の三面鏡が割れるにとどまったが、住み慣れた私のふるさとは見る影もなく あたりは悲惨な状態だった。5ヶ月以上たっても、テレビの画面から流される神戸の街は、ほとんど 変わりなく瓦礫のままだった。そんな光景をぼんやりと追っていると、建設会社に勤めている弟からの電話。震災後、神戸の街を飛び回り倒壊した建物の調査をしていた。
「今、イギリスのテレビ局の人を震災現場に案内してるんやけど、この夏、マンチェスターへ行くんやろ? あの世界移植者スポーツ大会に。ついでやからちょっと 宣伝しといたら?じゃあ、変わるわな!」「え! ちょっと 待ってよーー!!」 と言った瞬間、知らぬ間に英語をしゃべりだしていた私。すごい適応力!内容は、来たる8月から開かれる世界移植者スポーツ大会に私も腎移植者として参加しますが、できればその大会をテレビ局でもとりあげて、元気になった移植者の姿を伝えてほしい、と言ったつもりだったがさてさて通じているかどうか。後日、弟から名刺のコピーが送られてきたので一安心。話は通じていたようだ。


日本では、脳死からの臓器移植が法的に認められないが故、海外に臓器提供を頼らざるを得ない状況に、私達日本人は大変心苦しく思っているということ。1日でも早く脳死が法的に認められ、国内で移植が行なわれるように私達も努力していくということ。それを多くの人に理解してほしかった。移植先進国である南アフリカ出身の英会話の先生とも移植について多くの議論を重ね、助けもあってやっとの思いで原稿をイギリスに送った。
マンチェスター大会は、世界35カ国から千人を超える移植者達が参加していた。そのうちの28名は私を含め腎臓、肝臓の移植を受けた日本選手である。開会式の後、市庁舎での立食式パーティー。いろいろな国の選手が入り交じって話をしているのがとても楽しそうで、つい仲間に入ってしまう。言葉がわからないとTシャツをめくって手術の跡を見せ合う披露パーティー!?考えてみれば、皆同じような傷を持った者の集まりで、可笑しくなってしまう。そこで、私は市の評議委員である英国婦人と出会った。出発前に読んだ「イギリスにおける移植医療の夜明けーベン・ハードウィック物語」(THE STORY OF BEN HARDWICK)ー肝臓移植を必要とするベンと言う少年の物語ーについての私の感想に耳を傾け、私が書いた原稿も読んでくださると約束していただいた。うん、まずまずの滑り出しである。

さて、メインの競技のほうは 卓球とボール投げにエントリー!移植してから息子の通う小学校のPTAソフトボール部に入り、元気に走り回っていた私にとって、卓球なんてお遊びのようなものよと挑んだ初試合。タイの立派な体格のお姉様相手に楽勝と思ったのもつかの間、知らぬ間に負けていた。応援してくれた息子の一言「おかあさん、かわいそう。」その日は、1勝2敗で日が暮れて、ボール投げは日程の都合でキャンセル。私にとってのスポーツ大会はこれで終了。あとは交流だ!カナダの人、アメリカの人、みなさんとても気さくに話し掛けられ、お互いの臓器に思いやり、健康を称え合う。どこの会場でも微笑ましい交流が広がっていた。マレーシアの二人組のお姉様は、胸にもう金メダルをぶら下げている。バトミントンで優勝したらしい。このメダルでさらに話の花が咲くのだ。もう、楽しくてしかたがない。息子もいろんな国の人にバッチをもらったり、帽子をもらったりと国際交流していた。主人は、カメラとビデオを抱え、家族それぞれがこの大会を楽しんでいた。 
バスツアーでは、息子さんが肝移植をして二人で参加しているアメリカ婦人マリーと仲良くなった。。アメリカの医療制度、州によっての取り扱いの違い、いろんな問題を抱えてはいたが、息子さんへの愛情の深さととても明るい表情にアメリカの母としての逞しさがあり、とても魅力的だった。彼女にあの原稿を手渡すと、じっくりと丁寧に読んでくれて、微笑みながら一言「Good Work!」…・もう嬉しくて嬉しくて思わず彼女を抱きしめていた。 
初めての世界移植者スポーツ大会。多くの出会い。このために準備してきたことや患者会や講演会での勉強、これらすべてのことがつながり、これからの私の移植者としての人生の方向が定められたように思った。拒絶反応、合併症…移植者としての不安は尽きないがそんな中で見つけた唯一の目標! いつまでもこの大会に参加し続けたい。そのためには元気でいたい。こんな素晴らしい体験を、腎臓をくれた母に早く報告して今度は一緒に参加しよう。


 この2年後のシドニー大会では、参加国、人数全てが前回を上回り 移植大国を思わせるほどの大規模なものだった。開会式はオペラハウスを背に行われ、各国の参加者の大行進をいつもと変わらぬ人数の日本チームは羨望の眼差しで見つめていた。そして最後に行進する開催国のオーストラリアチームのハイライトは、移植で元気になった多くの子供達だった!幼稚園ぐらいの子供達がぶかぶかのユニフォームを着せてもらい手をつないで行進していく様子は、大きな拍手と感動と涙を誘った。そして、客席にいる母をみつけ走っていく子供と手を広げて抱きしめる母親の姿は、多くの人達の胸を熱くした。私は母を想った。57歳で腎臓を私に提供してくれた母、その後、私に心配かけまいと健康に人一倍気遣って60歳からスポーツクラブに通い出した母。母の愛に国境はない。この時も感動的な場面が同じようにくり広げられ、何よりもマンチェスターで会った多くの友人達との再会はやはり感動的なものだった。しかし、透析に戻った人や具合が悪くて参加できない人の話も聞き、その現実に少なからずショックを感じた。マリーに会いたかったが、その姿はなかった。

オーストラリアには 日本から多くの患者達が移植のために渡豪していた。ブリスベンで肝移植を受けた女性も参加していて、彼女を取材する日本のテレビ局も2局同行していた。日本では臓器移植法がまさに施行されようとしている頃だった。この取材で知り合った現地のカメラマンにも日本の現状を話し、このオーストラリアが多くの日本人を受け入れてくれることに感謝していることを強調した。もちろん、この国での臓器不足も深刻なようだった。

この大会は家族を残しての参加。競技エントリーも、卓球、ボーリング、ボール投げ、そして砲丸投げとあらゆる種類のボールを投げてきた!最終日はソフトボールで鍛えた腕もパンパンになり、砲丸投げにいたってはルールさえ知らなくて、大きな審判員のおばさんに隅っこに連れて行かれ投げ方を特訓された。にもかかわらず、本番では疲れ果て足元にドスッと落とすほどの記録。もう二度とエントリーしない!でも最高に楽しかった!ボール投げでは、予選に残り5位入賞。ボーリングは133のスコアでまずまずのところ。卓球は、前回の教訓から卓球教室に通っていて、運良く金メダル獲得。これでまた、次回に向けて目標ができた。多くの競技参加で友達の輪も広がり素晴らしい大会となった。しかし、この大会が終わったあと、厳しい現実が待っていた。


 この年の初め頃より、尿中に蛋白がみられ4月に腎生検を行っていた。 結果は「IgA腎症」はじめて聞く病名。シドニーから帰国後、主治医の勧めで腎内科へ行くと、腎機能30%と宣告され予想以上のショックを受けた。再発だ。大好きなソフトボールを止めての運動制限、低蛋白高カロリーの食事制限、ステロイド再服用、ACE阻害剤服用、そして情報を求めてのインターネットでの検索。時にはその情報が気分を落ち込ませることもあったが何もせずにはいられなかった。徹底した食事制限のかいあって、今では80%まで回復した。

また 私の周りでも透析に戻っていく友人や薬の副作用で悩む友人もいて、移植医療の難しさが私に襲い掛かってきた。この大きな不安を受け止めながら私の心の支えになったのは、私の移植体験を基にしたインターネットのホームページに寄せられるお便りだった。全国の、あるいは世界からくる同じ悩みの人々と思いを分かち合うことはとても大きな力となっていた。

そして‘99年ハンガリー・ブタペスト大会に参加することに不安を感じつつも、多くの友人達との再会を思い描き、体調のコントロール、卓球の練習を重ね、どうにか今回の大会に挑むことができた。病気とうまく付き合いながら2年に1度の世界大会に参加することは容易なことではない。しかし、卓球で銅メダルを獲得し、また素晴らしい感動を得ることができた。この感動を必ず神戸でも日本中、世界中の人々と分かち合いたい。

振り返って見れば はじめて参加したマンチェスター大会から4年の間に日本での移植医療への理解は目覚しく変わっていった。「臓器移植法」の施行や法に基づく初めての脳死での臓器提供があり、その後の大きな反響は移植者として心温まるものが多くあった。意思表示カードに記入したよとか、家族と脳死について話し合ったよとか、身近な人達が移植や脳死について語りあうようになってきた。その裏には、多くの人々の努力が積み重ねられている。ドナーの家族を含めいろいろな方からの善意で成り立つ移植医療。2年後の神戸大会では、多くの日本選手達が元気で胸をはって神戸の街を行進できれば、それが私達移植者からできる唯一の恩返しではないだろうか。

あの瓦礫の街から立ち直った神戸と病気の苦しみから多くの人の善意で復活した人々。何か運命的な出会いを感じるこの街からすばらしいドラマが繰り広げられるように、これからの2年間、私達は頑張っていきたい。
そして最後に、移植者、ドナーの家族、移植医療に関わった多くの人々と手をつないで輪になって神戸の街でひとつになりたい。もう心は未来に向かって走っている。
ホームページアドレス
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