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[特集]第12回世界移植者スポーツ大会 IN ハンガリー


9月4日(土)、いよいよハンガリーへの出発の朝。ほとんど見たことの無い朝4時の薄暗い空を見上げ、ついさっきまで荷造りしていた重いからだをひきずりながら成田空港へ向かう。思えば、日本移植者協議会(日移協)の大久保さんにこの大会に関する問い合わせをしたのは7月後半。すでに、参加希望者はハンガリー事務局からの登録用紙と各競技へのエントリー用紙など12枚を5月末に日移協に提出していた。この書類で目を留めたのは、「大会参加に関連してメディアに情報が公開され、インタビューされたり写真をとられることに同意することの署名」と「参加に対する主治医の承諾書」が同じ紙の中に書かれていること。移植を受けた人が海外旅行とスポーツができるようになった健康の証と移植医療の啓発に貢献することはほぼ同時に求められている。
8月の初めに、参加者名簿とエントリー種目の一覧表が配られ、出発10日前には旅程表とホテルのアナウンス。ホテルはどのガイドブックにも載っていなかった。誰と同室なのか、移動は?食事は?わからないことばかり。とりあえず、成田空港集合には私を含め7名。他は関西空港発、ちょっと寂しい。大事な娘さんを一人で参加させるご両親の心配そうな姿もあり、『大丈夫かしら?』

映画が3本も上映される長い空の上。健康な私が辛いのに皆は平気なの?機内食は食べられるの?薬は飲んでる?私の心配はことごとく空振り、淡々と過ごす皆さんの後ろ姿をみること12時間、やっとフランクフルトで関空組みと合流。再会に飛び上がる人、抱き付く人、歓声も聞こえる。『そうか、大会で知り合いになって交流を続けている人は多いんだ。それにしても、誰が選手?誰が関係者?見ただけじゃわからない。』頭の中のメモ帳は、真っ白。

飛行機を乗り換えて、ブタペストに到着したのは夕暮れ時。肌寒い。バスで30分ほどの所にあるブダ地区郊外のホテルグリフが日本チームとスウェーデンチームの宿舎だった。参加者は三ツ星クラスのホテル12ヶ所に分宿しているらしい。たった一台のエレベーターが故障し、重いスーツケースを4階まで引きずっているのは私達だけであろうか。周りには店も無い。『用意された夕食はしっかり食べておかないと。』
成田で買ったペットボトルの水がやけに貴重に感じる。部屋の原始的な鍵もバスタブの無いシャワールームも「これがハンガリーなんだ」と、やけに納得させるものがある。


 ハンガリーで迎える初めての朝、食事を済ませて9時からホテルの会議室で日本チームのミーティング。日移協会長の鈴木さん、事務局長の大久保さん、副会長の金子さんが正面に立ち、日程と行動の注意を伝える。この熟年3人組みは日本のあちこちに出没するのでお馴染み。「手の行き届くツアーと違いますからね。競技はそれぞれ違いますから、時間と場所をよく確認して、自己管理と自己責任で動いてください。」初参加組みの顔が心なしか青ざめていってるような…。
参加競技の予定と現地で用意されている観光やイベントの予定を確認。ひとり5種目までエントリーできるが、必ず日程がだぶってくる。選択と調整に混乱する人を横目に配布物が廻る。そして、自己紹介。「この大会に参加するたびに、健康と運に感謝しています」と、移植22年目のの浅野さん。「皆さんの元気な姿が再び見られて嬉しい。2年前の大会が終わった時からこの日を楽しみにしていました」と、娘さんに腎臓を提供しいつも同行している水谷お母さん。全員の顔合わせはとても貴重な時間だ。皆さんが健康に気をつけてこの日の参加をいかに楽しみにしていたかがひしひしと伝わってくる。言葉を交わしていきながら緊張感が解けていく。「午後は3時30分にロビー集合!それまで自由行動。」解散。トラムやメトロを利用して街の様子を見に行く人、スーパーに買い出しに行く人…。寸暇を惜しんで勝手に動き出す姿は逞しかった。

夕方5時からはいよいよ開会式。ここでも国境を越えた再会の歓喜の悲鳴、抱き合う姿が見られる。国旗を持って出番を待つ選手と別れ、「英雄広場」で待ちくたびれること1時間弱。やっと騎馬隊と音楽隊が入場。その後をプラカードを持つ子供と国旗を先頭におそろいのユニホームで行進する姿はまさにスポーツ選手団。たった一人の選手しかいない国もあれば、アメリカやオーストラリアなどの移植大国のように国内で予選をし、精鋭に絞ってもまだ50人を超える国もある。羨ましい。もちろん、開催国であるハンガリーは大選手団。『2年後の神戸大会には多くの日本選手団と応援団に参加して欲しいなあ。』

全選手が整列し、広場を埋め尽くした。ファンファーレが鳴り響く。たまたま観光に来ていた日本人が話し掛けてきた。「何の大会ですか?」「移植した人達のスポーツ大会ですよ。わからないでしょ。」「移植?こんなに元気になるんですか。頑張ってくださいね。」この大会は様々な人が出会い、言葉を交わせる不思議な優しさがある。こうやって、“移植”を知ってもらうことも大切な目的のひとつであることを実感した。

開会式では、ハンガリーのスポーツ大臣、世界チャンピオンのハンガリー人ボクサー、移植者スポーツ大会の産みの親であるスラパック会長、ハンガリーの移植に多大な貢献をした移植医、今大会の実行事務局の会長が次々に挨拶をする。ハンガリー伝統の歌と踊りが披露され、約1時間のセレモニー終了。「皆さん、この広場の裏手にあるお城でお食事をしながら、楽しい夕べを過ごしましょう。」赤い絨毯とシャンデリアを思い浮かべていた私が厳しい現実を見るまで、そう時間はかからなかった。お城の庭に用意された一番奥の食事用テントに到着すると、そこにはでっかいからだの欧米人がビュッフェの大皿の前で微動だにせず食べ尽くしていく姿。次に見たものは空っぽの食卓。食べるものはほぼ無かった。もうすでに闘いは始まっていたのだ。負けている。体力も食欲もガッツも。
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 競技初日の9月6日(月)、7時半ホテル出発。朝は1Fのレストランでバイキングの朝食を各自勝手に済ませておくことになっている。会場に行く送迎バスが1本だけ来るから、それに乗らないと会場がわからない。30分後、郊外の学校の前で降ろされて、向かった先は体育館。16台の卓球台が設置されていた。女子ダブルスは、沖縄の栽さんと奈良の水谷さんが出場。大会の時だけ組むのだが、前回シドニー大会でも銅メダルを獲得している息の合った2人だ。1回戦はイギリスチームに2−0で快勝。終わるやいなや、2回戦は前回優勝チームハンガリーとの対戦。3セットもつれにもつれた大接戦に応援団の声もひときわ大きくなる。そして、勝利。大歓喜。「おめでとう」の嵐。次は同じアジアのタイとの決勝だ。やはり似たような粘り強い卓球でラリーが続く。1セットは取られたもののその後は快進撃。あっという間に優勝してしまった。「すごいぞ、金メダル獲得。」皆の目に涙がにじむ。勝っても負けても試合後は握手とプレゼントの交換をして、記念撮影。すぐに友達になれるさわやかさは、この大会ならではのものかもしれない。

女子シングルスには6人がエントリーしている。そのため試合数が多く、会場のあちこちで同時に日本の選手が試合に出るため、応援が間に合わない。結局、成田さん、栽さんは残念ながら予選通過せず。水谷さんと夏目さん、そして浅野さんと藤本さんが決勝リーグに進むこととなった。女子も決勝リーグともなると、さすがにうまい選手同士のラリーが繰り広げられた。週に1回練習を重ねてきた藤本さんが銅メダル、唯一肝臓の移植者として参加している夏目さんが銀メダルを獲得。男子で唯一そして初の参加である宮地さんも快進撃。涼しい顔してするすると準決勝に進んだが、この大会の有名人、ドイツの義足のおじさんに負けてしまった。不自由な動きを最上級の技術でフォローし、毎回優勝をさらっていく伝説の人。かなり悔しそうであったが銅メダル獲得は素晴らしい。男子の試合は技術的にかなり水準が高いからだ。
日本チームは素晴らしい成績を収めていた。全ての試合が終わったのは、なんと21時。表彰式には国旗と国歌が添えられて、選手と応援団がひとつになって互いの健闘を称えあう“輪”を感じることができた。とにかく、13時間ものあいだ体育館に居た全員がファミリーのようであり、競技を通じて共に過ごすことの意味が確かに体感できた日であった。

部屋に戻ったのは24時近く。皆さんの身体は大丈夫なのだろうか。


 ただの応援団さえ、かなり疲れている3日目。チームマネージャーである大久保さんはもっともっと大変なスケジュールをこなしているのである。日本を飛び立つ前から準備や調整に追われ3時間睡眠で過ごしてきていて、こちらに来ても休んでいない。すでに、疲労の色が見える。今日は自ら参加予定の5KMミニマラソンがあるというのに、初参加の多いスキットゥル選手を会場に送り込み、エントリーの確認や会場の視察、カメラマンとして選手の撮影もしている。競技が始まったのを見届けてマラソン会場に向かう。少々迷いながらやっと辿り着いた会場で見たものは…。走り終えてメダルをさげている嬉しそうな人、とぼとぼ帰路につく人、後片付けをしている事務局の人…。競技は終わっていた。この日のために用意したという透け透けのランニングが妙に白くてちょっと悲しい。

チームマネージャーは、毎晩ミーティングに出なくてはいけない。大会運営に不手際や改善すべき点があれば選手を代表してミーティングで報告し、対処を要求する。走らなかった翌日もチームマネージャーとしての大仕事が控えていた。いつものミーティングの後、20時半から各国の代表者、ゼネラルアッセンブリーの会議。ここでは、前大会の反省点や今回の問題点を話し合い、次回のより良い運営に反映させようという内容。つまり鈴木会長と共に神戸大会のために取り組む課題をここで把握し、神戸大会の概要をビデオやスライドを見せながら紹介しなくてはいけない。神戸で素晴らしい施設と温かいもてなしを準備することを約束し、多くの参加を呼び掛ける仕事も次回開催国であるチームマネージャーの大きな役割なのだ。
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 大会も後半。競技も2日間にわたって予選と決勝が行われるほど参加人数の多いものが展開し始める。2日間のうち、何時頃試合があるのか、予選を通過したらいつ決勝が行われるのか、とにかくその場にいないと把握しにくい。4日目5日目に行われたテニスには、男子シングルスに栽吉信さん、女子シングルスに栽みどりさん、ダブルスにもエントリーしている川畑さん、高橋さんの計4名。栽吉信さんは、宮古島のチャンピオンであるプライドにも加え、奥様のみどりさんがすでに卓球で金メダルを獲得しているプレッシャーもあり、かなり気合が入っている。試合前からウォーミングアップと素振りに余念がないのだが…。第一試合でイギリス選手に1−8で負けてしまった(8ゲーム先取、1ゲームマッチ)。いや、1ゲームを取れただけでも素晴らしいことだった。なにしろ、ヨーロッパの選手は日本の卓球のようにテニスが身体に馴染んでいるし、この選手は結局その日優勝したのだ。組み合わせを怨もう。迫力ある試合は翌日も続いた。川畑さん、高橋さんペアは大健闘で銅メダルを獲得した。実はお2人ともママさん。この大会に移植をしたことで授かることができた2歳の娘さんと母親の移植を見守ってきた11歳の息子さんをそれぞれ連れてきている。お母さんを応援する姿、待ち時間をじっと静かに過ごす姿がとても印象的だった。幼い目にも深く心に留まる何かがきっとあるに違いない。

この日は遠く離れた別の会場で水泳の第1日目も行われていた。男子50m平泳ぎの予選に金子さん、宮内さん、岡田さん、宮地さんが参加。日本チームの中では立派な体格の人でも外人選手と並んで入場してくる姿はなんとも小柄。当然泳ぎも上品。残念ながら皆さん上位でタッチならず。
水泳に2度目の参加の宮内さんは、腎臓移植してから26年経った今も元気に過ごしているが、視力を失われている。スペインの学会から飛んできたチームドクター、東邦大学の相川先生が事務局に交渉し、一番端のレーンに変更してもらった。プールサイドから泳ぐ方向を声で指示するのである。「もうちょっと右へ、ほんの少し左へ。」金子さんの大きな声に的確に反応し、泳ぎ進んでいく宮内さん。ゴールでは大きな拍手。涙でカメラのレンズが曇る。そこへ駆けつけたのがアメリカ人の女性。彼女はついさっき、義足をはずして片足で50mを完泳している。確か、卓球会場でも会っているのだが、その試合を見て義足には気がつかなかった。宮内さんに抱き着いてキスをする。「いい泳ぎだったわよ!素晴らしかったわ!!」思いやる心と称え合う明るい姿に、学ぶことは多い。

水泳2日目。午前中の予選に参加したのが、女子50m自由形に川畑さん。男子50m自由形に林さん、岡田さん、100m平泳ぎに宮内さん。なんと、全員好タイムで予選通過。しかし、午後の決勝戦では並々ならぬ闘志を燃やす外国選手の波に呑まれ、メダルならず。人数の関係でいきなり女子50m自由形の決勝戦で泳いだ下河さんは3位、銅メダル獲得。昨日からとても緊張していて、「泳げるかなー。辞めようかなー。」と言っていたのに。その後の彼女は一段と明るく楽しげで、疲労の色濃いチームのムードをぐっと明るくしてくれた。
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 花形の陸上は最後の2日間に行われ、大会のフィナーレを飾る。太陽が照り付けるトラック、電光掲示板、観客席に広がる国旗。スケールが大きく華やかに感じるが、今年は参加人数が少なくていつもより寂しいのだとか。日本人の参加も少ない。1日目は、3km競歩に小澤さん、下河さん。ボール投げに宮地さん、鈴木さん。2日目は、砲丸投げに栽吉信さんがエントリーしている。小澤さんは、前日に棄権すると言っていたのだが「無理しないで歩けるところまで頑張ってみたら」という周りの声に押されて参加。下河さんの支援もあって無事完歩し、さわやかな汗と笑顔を見せてくれたのが印象的だった。そして、男子100m走は11秒台を記録するほど、トラックでもその中のフィールドでも本格的な技術と素晴らしい闘志が見られ感動の連続だ。選手も応援団も入り乱れて盛り上がることを許される柔軟な進行も他では見られない。また、子供達が一生懸命走り、飛び、メダルを授与される姿に目頭が熱くなる。とにかく、勝利に執着する真剣な姿は逞しく美しい。この感動を日本で披露できる2年後が待ち遠しくなる。

陸上競技の熱い闘いが終わると、温かくもあり寂しくもある閉会式だ。ハンガリーの大会事務局長とスラパック会長が挨拶をし、歌手が歌を披露する。観客席には再び全参加者が集り、ウエーブが湧き起こる。肩を抱き合って歌を歌ったり、踊ったり、感謝と喜びの表現は様々だ。誰が言い出したわけでもないのに、広いトラックに全選手が手をつないで輪になった。スラパック会長の合図で全員が中央に走り寄る。各選手が国境を越えてお互いの健闘を称え、再会を誓い合う塊となってなかなかほどけない。この瞬間がこれまでの全てを感動に変えてしまうのだ。「2年後に神戸で会おう!」いつまでもトラックに響いていた。
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第12回世界移植者スポーツ大会INハンガリー
世界移植者スポーツ大会同行ルポ
初参加の感動・メダル獲得の喜び〜メッセージ〜
人生を変えた移植〜結婚そしてスポーツ〜 栽みどり(献腎移植)
移植者スポーツ大会で広がる世界 藤本朋子(生体腎移植)〜
世界移植者スポーツ大会の歩みと移植者の絆 浅野悦代(生体腎移植)

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