コミュニティ

トップページコミュニティデジタルTransplant

 

デジタルTransplant

7月21日、宗谷岬到達。
自転車ナース隊は、3ヶ月半で3500Kmを走破し、2367枚の意思表示カードを配りながら日本縦断を成し遂げました。この間、出会った人でカードを持っていたのは、書いていない人を含めて11人でした。
心地よく自転車を走らせた追い風。移植医療に対する無関心さを思い知った向かい風。山あり谷ありの旅を終えて、二人が感じたことは何だったのでしょうか。
旅が終わってもカードは配りたい
地方によって違うカードへの関心
東京に近づくにつれ配れなくなってきた辛さ
多くの人との出会いが楽しかった
旅が終わってもカードは配りたい

雁瀬
本当にやり遂げましたね。待望のゴールの瞬間はどんな感じでしたか?

金子
宗谷岬は見たことがなかったので、走っているうちにどんどん頭の中で“すごいところ”になっていて、着いた時はちょっと“カクッ”としちゃいました。これのために3ヶ月半も走っていたのかなって。

安田
当日は、風が強くてとても寒かったので、“ゴールした”というより、“その日の走行を終えた”ような感じでした。すべての旅が終わったという実感がなかなか得られませんでしたね。

雁瀬
走り終えてからちょうど1週間経ちますが、何をしてましたか?

金子
衣替えと掃除。部屋に戻ったら出発直前まで着ていたコートや服がいっぱい掛かっていたし、冬布団も出たまんまでしたから。クリーニング屋にも飛んでいきました。

安田
私は、美白化粧品を2万円分買い込みました。真っ黒に日焼けしたので、ファンデーションの色もすっかり合わなくなってて、“これじゃ、外にもでられない”って。

金子
走っている時、おしゃれをしている人がとても羨ましくて、“帰ったら化粧して、女の子らしいかっこして、映画を観に行こう”って思ってたんです。さっそく“ディープインパクト”を観てきました。

雁瀬
やりたかった日本縦断をして、その間にできなかったことを帰ってきてからやってみて、今の気持ちは?

安田
旅をしてよかったなあ。

金子
大阪に帰っても、友達や近所のお店の方に声を掛けられたり、配れば受け取ってくれそうな人もいっぱいいるので、“カードをもっていたら渡せるのに”ってすぐに考えちゃうんです。でも、旅の間は“カードを配らなくちゃ”という強い思いがありすぎて、相手の顔色や様子を伺うようなことも多かったから、今の方が気楽に渡せるような開放感もありますね。

雁瀬
配る旅が終わって、今は普通の生活に戻ったということではなくて、今でもカードを知らない人に伝えたいとか、渡したいいう気持ちが残っているんですね。環境が変わっても、その気持ちを持ち続けてもらえたら嬉しいですね。ところで、旅の前と後で、お互いの印象は変わりましたか?

金子
見直しました。“やればできるじゃないか安田君”

安田
サトは、やっぱり朝から晩までテンション高かった!
TOP▲
地方によって違うカードへの関心

雁瀬
沖縄から北海道までの行程で、ハプニングや印象的なこと、カードの反響について紹介してください。

金子
旅が始まってすぐの熊本で、私がひどい下痢になってしまって、びっくりしました。消化器系には自信があったので、食べられない眠れないはかなりきつかったです。

安田
結局3日間休むことになったんですけど、慌ててもしょうがないので、私も十分に休んどきました。この先大丈夫なのかちょっと不安になったんですけど、九州はとても順調でした。走っている間は、あまり人に会わなかったんですが、会えば 話を聞いてくれたし。

金子
それにしても、カードを知っている人がほとんどいなくて、途方に暮れかけましたよ。こんなにみんなが知らないのに二人でどこまでできるんだろうって。でも、やりがいがあって充実しているという実感はありました。

安田
知らない人が、とにかく一人でも知ってくれたことが嬉しかったですね。

雁瀬
充実した九州から本州に渡って、どうでしたか。

安田
山口県に入ってからは“知ってる、見たことがある。でも、どこにあるの?”って言う感じ。何となく知っているけど良く解っていない。

金子
この頃から“どこに登録すればいいの?”とか“このカードを持つとドナーにならなくちゃいけないんでしょ”とか、勘違いしている声をずいぶん聞きました。それからは、間違われないように、先に言いながら渡すようにしました。“自分の意思を表示して、持っているだけでいいカードなんですよ”っていうように。

安田
島根で、多くの人達と一緒にたくさんカードを配ったのは、新鮮で楽しかったんです。カードの行方がわからなくなるような配りかたはやめようって決めていたんだけど、皆で一緒に配っても、ちゃんと関心を持ってくれる人がいるし、理解しようとしてくれる人の姿を見て、これもいいな、楽しいなって。

雁瀬
カード配布の新たな形を体験して、発見があったんですね。旅とカード配布のノウハウが積まれていく一方で、疲れは溜まってきませんでしたか?

金子
安田君に初めて“嫌気(いやけ)君”が来たんです。

安田
山陰で1日に5回の山越えがあった日がとてもきつくて、“もういいや”って

金子
宿で荷物降ろしながら「嫌気君来たの?」って聞いたら「来た!」って。「もう帰った?」って聞いたら「うん。帰った」「何て言って帰った?」「明日また来るって言って帰った」って。「何て答えたの?」「じゃ、また明日って言っといた」(笑)

安田
「なんで2度と来るなーって言わないの!」って怒られました。それからは、山のきつさは諦めました。

雁瀬
体験したことのないような、ハードな道のりがあったんですね。地元の大阪に向かってはどうでした?

金子
大阪に近づくにつれて、カードは持っていないけど、僕はこう思う、私はこうしたいっていう意見をしっかり持っている人が多くなりました。意見交換ができるなっていう状況に。

安田
大阪入りした日はちょうど「看護の日」で、そのイベント会場に真っ先に連れて行かれたので、とても盛大な出迎えを受けました。

雁瀬
かなり手応えが出てきたという高揚した雰囲気ですね。
TOP▲
東京に近づくにつれ配れなくなってきた辛さ

雁瀬
東京に入った時、とても落ち込んでいる様子だったけど、大阪からが辛かった?

安田
大阪出てすぐは、テレビを見た人が多くいて、配りやすかったんだけど、それから徐々に配りにくくなっていったんです。

金子
都市が続くと、人に渡す機会は減るんですが、やっと話しができるかなと思ったら、日本縦断のことは聞いてくれても、いざカードを出すととたんに引いてしまうんです。何かの勧誘と間違われるような感じで。

安田
話を聞いてくれようともしないし、聞いてるふりして適当に相づちをうたれたりして、とても配れる状態では無い日が続きましたね。

雁瀬
その辛い状況は、どの辺まで続きましたか。

金子
厚生省で小泉大臣とお会いしたときのことが大きく報道されたので、その後は知っている人が多くて、ぐっと楽になりました。一気に好転。

安田
東北は景色もいいし、要所に宿があって声をかけてくれる人も多くなって順調でしたね。日立市でサトが怪我をしたのは大ハプニングでしたけど。

金子
北海道はまた独特に盛り上がっていて、私達のこともカードのことも良く報道されていたようで、走っていると車から降りて来てくれたり、パンやジュースの差し入れももらいました。皆、カードは持っていないんだけど、配りやすかったですよ。
TOP▲
多くの人との出会いが楽しかった

雁瀬
旅全体を振り返って、楽しかったこと、印象的だったことは?

金子
楽しかったことは二人とも同じで、毎日のいろいろ人との出会いがとても楽しかった。印象的なことは、山口で会った移植反対の人のこと。反対の理由をきちんと話してくれて、“だから、持たない”じゃなくて、3番に丸をして持ってくれたんです。嬉しかったですね。

安田
北海道で会った旅館のあばあさんが、カードを受け取って“これを人生最後の宿題と思ってきちんと考えますね”と言ってくれたんです。正面から向き合ってくれたことがとても嬉しかったんです。

金子
その上、旅館代までただにしてくれて…。

雁瀬
旅で得たもの、これから生かすものについては、どうですか?

金子
北海道の草原で牛を見た時に感じたんですが、遠くで見ているときれいなんだけど、近くに寄ってみるとそれだけではなくてね、つまり、出発前に移植医療のことカードのことを勉強して知った気になっていたんだけど、実際にきちんと見なくちゃいけないんだなって。この旅で実際に見たこと、聞いたことをこれからも、カードとともに伝えていきたいですね。

安田
まだまだ時間はかかると思うけど、コンビニなんかの身近なところにカードがあるようになればいいし、理解が広がって移植医療がきちんと根づいて欲しいです。そのために役にたつ事はずっと続けていきたいと思っているんですよ。

雁瀬
本当にお疲れ様でした。次号では旅日記を紹介したいと思うので、さっそくお力添えを。

戻る

 

TOPへ戻る