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小冊子 think transplant

いのちの贈り物
~あなたの意思で救える命~
think transplant Vol.17 

腎移植後に生まれた娘も今年で2歳になります

 
一つしかない腎臓を大切にするために

 『生まれつき左の腎臓がありませんでした。奇形ですね。』私が小学校三年生9歳の時に先生から言われた言葉です。私はただ呆然として、隣にいた母は泣き崩れていたのを今でもハッキリと覚えています。
 学校の尿検査で尿タンパクが高いのがわかり、すぐに受診を勧められました。先生からは『すぐに入院をして腎生検をしてから今後の治療法を考えましょう。』と言われ、腎生検前の検査で左の腎臓が無いのがわかったのです。先生から『今ある一つの腎臓を大切にするために薬と食事療法で頑張りましょう。』と言われました。それからはとても厳しい食事療法が始まりました。ご飯からおかず、すべてを毎回秤で量り食事をしていました。もちろんスナック菓子や炭酸ジュースは一切禁止。友達と遊ぶ時は自分が食べられる物を持って遊んでいました。そのうち、学校の給食も食べられなくなり、お弁当を持って学校へ行っていました。腎臓病であること、そしてお弁当を持参していることでクラスの男の子から心ない言葉を言われた事もありました。今も私の辛い思い出となっています。

 
透析と食事療法の日々

 中学三年生の夏休み直前、先生から『腎臓の機能が低下していて今の治療では厳しいので腹膜透析にしましょう。これからは自分で毎日透析をしなければならないので夏休みに入院して手術をして透析の仕方を覚えましょう。』と言われ夏休みに入ってすぐに入院をしました。手術後、1週間で透析ができなくなってしまい再手術しました。ところが、またすぐに透析ができなくなり3度目の手術を受ける事になりました。3度目の手術後はスムーズに行き私もホッとしていました。
しばらくするとお腹のチューブの入口が膿んでしまい先生も原因がわからないと言っていました。私は落ち込んでしまい毎日泣いていました。「何で私だけがこんな事になるの・・・。3回も手術を頑張ったのに・・・。また手術をするのかな・・・。嫌だな・・・。」と思っていました。しばらく治療を続けていたら、膿は出なくなり、透析の仕方もしっかり覚えて2ヶ月間の入院生活を終えました。透析で少し食事制限が緩くなったので退院の日、両親は私のために好物を用意してくれお祝いをしてくれました。兄は炭酸ジュースを買ってくれて一緒に飲みました。6年ぶりの炭酸ジュースはとても美味しかったです。透析は昼間も1回しなくてはならず、学校の保健室を使う約束でしたが急に使えなくなり、毎日早退して家で透析をしました。高校も透析があるので全日制には行けず夜間高校へ4年間行き卒業しました。

 
移植後、本当に嬉しかった4年ぶりの尿

 19歳の時に今も通院している病院へ転院しました。初診の時に先生から献腎移植希望登録を勧められて登録をし、21歳の時に献腎移植を受ける事ができました。
 手術の前に「お腹のチューブを記念に取っておきたいので捨てないでください!!」とお願いをしました。15歳から21歳の6年間、私の身体の中にいて頑張ってくれたので今も大切に保存してあります。
 移植の手術は7時間かかりました。目が覚めて先生から『良かったね。誕生日がもう一つ増えたよ。でも腎臓があなたとすべてマッチしている訳ではないから油断は禁物だよ!!』と言われました。尿が出るまで1ヶ月半ぐらいかかりました。移植後初めて尿意を感じトイレに行きました。そして尿が出た時の喜び...。17歳ぐらいから4年間ずっと尿は出ていなかったので本当に嬉しかったです。すぐにナースコールを押して知らせました。看護師さんも一緒に喜んでくれました。その後、ウイルスに感染してしまい毎日点滴の治療をして4ヶ月後に退院しました。
 退院してすぐに卵巣のう腫の摘出手術を受けました。移植する少し前から見つかっていたのですが、大きくなってしまい痛くて痛くて歩行も困難になったので手術を決めました。卵巣を一つ摘出しましたが生理も順調にきました。透析中は不順で婦人科を受診したりしましたが、献腎移植で元気な腎臓をいただくことができ、私の身体が順調になったのだと思います。

 
結婚と妊娠~ドナーとドナーのご家族に心から感謝

 その後、結婚した時、先生から『子供ひとりなら産めるから産みなさい。』と言われましたが、私は自分の病気が遺伝したら私と同じ辛い思いをすると考えていて子供を産む事を悩んでいました。ある時、外来で診察を待っていると子供を連れている女性がいました。勇気を出して声をかけてみると移植後に出産された方でした。その方のお話を聞いて私も出産する決意が出来たのです。先生にも伝えて薬の調整をしてもらう事にしました。
 7ケ月後、妊娠していることがわかりました。初めて赤ちゃんの心臓が動いているエコーを見た時に嬉しくて涙が出ました。妊娠5ヶ月目に入った時に腎臓が痛くなり熱も出てしまったのです。すぐに病院へ連絡をして受診、入院となりました。尿路感染をしていたのです。毎日抗生剤の点滴と水分を沢山取っていました。赤ちゃんに影響が無いように弱い抗生剤をお願いし、一週間で治り退院しました。
 ドナーのご家族にも結婚と妊娠のお知らせを手紙に書きました。ご家族からお返事をいただき、喜んでいただけて私も嬉しかったです。
 私の自宅と病院がだいぶ離れていたので、大事を取って帝王切開出産をお願いしました。私の父の誕生日に出産することに決めました。小さい頃から身体の弱かった私のことをとても大事に育ててくれたので親孝行がしたかったのです。父は大喜びでした。
 平成21年7月、体重3,000gを超える健康な女の子が生まれました。娘の元気な泣き声を聞いて、私は声をあげて泣いてしまいました。出産までに毎日、健康に生まれてくるかなぁと不安で一杯でしたから。娘も今年で2歳になります。言葉もだいぶ話せるようになり楽しいです。
 出産後も腎機能は正常です。ドナーとドナーのご家族に心から感謝しています。

 

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